愛のコリーダ


愛のコリーダ(L’EMPIRE DES SENS)
監督:大島渚  1976年  日本/フランス


あらすじ
阿部定事件をもとにして作られた話。女郎上がりの女中の定(松田暎子)が奉公先の主人の吉藏(藤竜也)に一目惚れをしてしまう。そんな定のことを最初はまあちょっと可愛がるか、程度だった吉藏もだんだん定の愛欲に溺れていく…。定の愛欲は止まることと知らず、まさにコリーダ(闘牛)のよう。ついには、窒息プレイにまで発展、さらに、その吉藏に溺れまくった末の殺害、そして局部を切り取ったっていう話。

率直な感想は、お腹いっぱい、毒気にやられた、という感じ。だってずっとやりまくってるんやもん。体力すごい。
定の吉藏に対する愛欲(愛するが故の肉欲?)もすごかったんですが、それを受け止める吉藏の懐のでかさも半端ない。それというのも、やはり、定がそんだけ吉藏のことを欲したから、それに吉藏は応えてやりたいと思ったんやろうなというのが伝わってきて、じーんとした。が、見ている分には疲れた。ただ、それくらい二人の演技はすごくて、もうこんな映画二度と見られないんじゃないかと思うくらいすごかった。藤竜也さんはかっこいいし、松田暎子さんはすごく美人というわけでなないが、吉藏に対するひりひりするくらいの熱さが見ているこちらにも伝わってくる迫力だった。
家で見てたもんで、家族が1階(私は2階で見ている)にいるので、2人がセックスし始めたらテレビの音量下げて、そうすると会話の内容が聞こえなくなるから、また音量上げて、するとまたすぐにセックスし出すから音下げて、っていうのを繰り返しやりまくってそれも疲れた。一人でいるときに見られない人は要注意です。

ノーカット版というやつを見たのですが、ぼかしがかかってて、AVぽくなってるのが残念だった。フランス版は無修正だそうで、どう考えてもそちらを日本でも上映したほうがいいと思った。

こういうぼかしが入ってる映画を見るといつもなんでぼかしが必要なんか思うんですが、なんでなんでしょう?いや、刑法175条のわいせつ物頒布等の罪に抵触するというのはわかるんやけど、肝心な部分をぼかして何を見ないようにしてるんやろうか。例えば、AVとかってそれを見たいから見るわけですよね?なのに、なんで1番見たいところをぼかすんでしょう?犯罪抑止?謎や。謎すぎる。見たくない人もいる、というのもぼかす理由にあると思うんですが、でも、ぼかしをその部分だけぼかしても、もうやってることあからさまなんやからあんまり意味ないやん、とも思うのですが...。ネットに無修正の動画が転がっている時代になったので、もうあまりぼかしは意味ない気がするし、それだったら開き直って成人向けで、ぼかしなしで売っていったほうが、いろいろと潤うと思う。

いいこと思いついた。
映像作品を作るときに、ぼかしを入れないといけない作品の場合、ぼかしの入ってるバージョンと無修正バージョンと両方用意して、ぼかしが入ってるほうがいい人は、そちらを見る、でいいんちゃう?

自分だったら絶対に無修正のほうしか見ない。他の人はどっちを選ぶんでしょう?気になる。

『アデル、ブルーは熱い色』のときもR-15に対象年齢を下げるために、話題のセックスシーンをカットしてレンタルDVDにしてあったけど、あれ作品への冒涜やろう。何のために、レア・セドゥはがんばったんや!(違)

とにかく、セックスシーンのぼかしに関しては、歯がゆい思いばかりしているので、いつか規制が外れる日を心待ちにしております。


ほな、またね

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