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Showing posts from April, 2015

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夢のチョコレート工場

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夢のチョコレート工場(WILLY WONKA & THE CHOCOLATE FACTORY) 監督:メル・スチュアート 1971年 アメリカ 原作:ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』 ウィリー・ワンカのお菓子は子どもたちに大人気。ある日世界を震撼されるニュースが流れる。その内容は、ワンカのチョコレートに入った金のチケットを手に入れたものは、一生分のチョコレートと、さらにすごいものがプレゼントされる、というもの。金のチケットは世界でたったの5枚。世界中の人々が血眼になってその金のチケットを探すためにチョコレートを買います。お金持ちの親を持つ子どもは、金の力にものを言わせてチケットを手に入れるが、貧しいチャーリーは普段の食べ物を買うのもままならない生活をしている。そんなチャーリーもワンカの工場にはすごく興味を持っていて、金のチケットを欲しいという気持ちだけは誰にも負けないくらい持っていました。もうあきらめかけたとき、チャーリーのもとにも、チケットがやってきます。 ウィリー・ワンカの工場へ招待された人たちがお菓子でできた部屋(?)に通されるシーンが大変印象に残っています。このときに流れるPure Imaginationという曲とそれを歌うワンカ(この映画はちょっとミュージカル調になっています)の世の中を憂いた少し悲しげな表情、しかし、夢のようなお菓子の世界にワクワクするギャップ、合っていないように見えますが、そこにぐっときました。 ワンカの工場へ招待されたチャーリー以外の子どもたちは、みんなどこか現代の進んだ社会を風刺したようなキャラクターばかりです。この子どもたちが1人ずつ、ワンカの工場の餌食となって消えていきます。(このへんはホラーっぽい) ワンカの工場で働くウンパルンパたちの歌が中毒性があります。 自分の工場のお菓子の情報を盗みにくるやつらばかりを目の当たりにして、また、この招待した子どもたちの様子、そして、その子どもをこんなふうにしてしまった親たちを見て、ワンカは肩を落とします。ワンカは招待した人々のことを試していたのです。自分のこの工場を譲るに値する心の持ち主を探していたのです。チャーリーは貧しい暮らしをしていましたが、誠実で正直な心を持っていました。それを知ったワンカはチ

愛のコリーダ

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愛のコリーダ(L’EMPIRE DES SENS) 監督:大島渚  1976年  日本/フランス あらすじ 阿部定事件をもとにして作られた話。女郎上がりの女中の定(松田暎子)が奉公先の主人の吉藏(藤竜也)に一目惚れをしてしまう。そんな定のことを最初はまあちょっと可愛がるか、程度だった吉藏もだんだん定の愛欲に溺れていく…。定の愛欲は止まることと知らず、まさにコリーダ(闘牛)のよう。ついには、窒息プレイにまで発展、さらに、その吉藏に溺れまくった末の殺害、そして局部を切り取ったっていう話。 率直な感想は、お腹いっぱい、毒気にやられた、という感じ。だってずっとやりまくってるんやもん。体力すごい。 定の吉藏に対する愛欲(愛するが故の肉欲?)もすごかったんですが、それを受け止める吉藏の懐のでかさも半端ない。それというのも、やはり、定がそんだけ吉藏のことを欲したから、それに吉藏は応えてやりたいと思ったんやろうなというのが伝わってきて、じーんとした。が、見ている分には疲れた。ただ、それくらい二人の演技はすごくて、もうこんな映画二度と見られないんじゃないかと思うくらいすごかった。藤竜也さんはかっこいいし、松田暎子さんはすごく美人というわけでなないが、吉藏に対するひりひりするくらいの熱さが見ているこちらにも伝わってくる迫力だった。 家で見てたもんで、家族が1階(私は2階で見ている)にいるので、2人がセックスし始めたらテレビの音量下げて、そうすると会話の内容が聞こえなくなるから、また音量上げて、するとまたすぐにセックスし出すから音下げて、っていうのを繰り返しやりまくってそれも疲れた。一人でいるときに見られない人は要注意です。 ノーカット版というやつを見たのですが、ぼかしがかかってて、AVぽくなってるのが残念だった。フランス版は無修正だそうで、どう考えてもそちらを日本でも上映したほうがいいと思った。 こういうぼかしが入ってる映画を見るといつもなんでぼかしが必要なんか思うんですが、なんでなんでしょう?いや、刑法175条のわいせつ物頒布等の罪に抵触するというのはわかるんやけど、肝心な部分をぼかして何を見ないようにしてるんやろうか。例えば、AVとかってそれを見たいから見るわけですよね?なのに、なんで1番見たいところをぼかすんでしょう?犯

シモンの空

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シモンの空( L'ENFANT D'EN HAUT ) 監督:ウルスラ・メイエ 2012年 フランス/スイス シモンという名前の 12 歳の少年が、生きていくために、スキー場でスキー板やらゴーグルやらを盗んで売ってお金に換えて、生活費に充てる話。親はいず、姉 ( レア・セドゥ ) が一人いる。実はこの姉には秘密があった ... 。 見終わってみて、秘密ってそういうことか、と納得はしたものの、健気なシモンの行動にかわいそうやなと思いつつも、ここまで健気になれる?という疑問も起こった。自分の家族のことを恨んでも、自分は誰かといっしょにいたい、さびしい、誰かに抱きしめてもらいたい、というのは、誰でも抱く感情で、今まで親の愛情を十分に受けてこなかったシモンなら尚更それを求めてしまうのも仕方ないし、そうするべきだと思った。 今後のシモンの行く末を心配するながらも、シモンには強く生きていってもらいたいという願いを持った。もし、自分がシモンのような立場だったら、自分もシモンと同じように、どんな辛い状況であれ生きていかなければならないんだなと思うと思う。どんな形であれ、生きていれば楽しいこともきっとあるんだ、と信じずには生きていけない状況だけど、それでも生きていこう、とシモンにも自分にも声をかけたくなる映画だった。 レア・セドゥ演じるルイーズがダメダメな人なんですが、どこか魅力的に見えるのは、やはりセドゥ効果なんでしょうか。レア・セドゥのちょっと流し目加減の表情が好きです。 ジャンルを分けるなら、やはり愛の映画になるんやろうなあ。シモンのひたすら前向きな愛にあふれる映画やからなあ。 では、また

選挙で思うこと

久々に家の近くの投票所に行ってきた。いつもは期日前投票をすることが多いので、久しぶりだった。投票というと私はいつも気分が重くなる。理由は、投票所入場整理券を係りの人に渡すと、いつも顔をジロジロ見られたり、後から、間違えた!みたいなヒソヒソ声が聞こえたりするからである。何を間違えたかというと私の性別である。以前の投票で、選挙区での投票は男で比例区での投票は女と判断されたこともあった。私自身どちらの性別に思われようとどうでもいい(という境地にまできた)のだが、この人々の反応や目線がいつも嫌やなあとなる。目は口ほどに物を言う。ほんまに。 今回の投票では、最初に券を渡す机に大きく「男性」、「女性」と書かれたパウチされた紙が貼ってあり、机上にも水色とピンクの紙が置いてあり、その紙のところに渡すのだなということが見てすぐにわかったので、向こうの人が私の性別を判断して間違えた!と言われることはなかった。 無事投票を済ませ帰ったのだが、やはり、性別を男女のどちらかを選ぶというときに迷いというか、変な気持ちが生じる。こういうこと“普通”はあまり考えないのかもしれないが、私は考えてしまうのである。それは、自分が男でも女でもないような気がしているからである。このことについては、また今度書きたい。私がよく思うことなんやが、どうしても生物学的な男女別にしなくてはいけないとき、例えば銭湯とか温泉とか、他今すぐに思いつかないんやけど、そういうとき以外ってわざわざ性別知らせる(表記する)必要ってある?と思ってしまう。選挙だったら、後で年代別、男女別で集計取るんか知らんけど、それを取って、どういう意味があるのかが知りたい。今回の選挙では20代の男性の投票率が低い~みたいなことを調べるためなのか、それを調べることに男女を分けることがどう必要なんかが知りたい。 実際、性別表記をなくした自治体もあるようだ。2009年8月30日の朝日新聞の記事を見ると全国の主要自治体の5割超が「男」「女」の性別表記を2003年衆院選以降の6年間やめていたそうだ。 “現在、漢字表記していないのは、元々していなかったところと合わせ計60自治体。一方、13市は今回の衆院選でも漢字表記を変えない。福井市や徳島市の選管は「問題として認識しているが、今のところ市民から要望はなく、具体的な検討はしていな

竜二

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竜二 監督:川島透 1983年 日本 脚本・主演:金子正次 ヤクザの幹部の竜二がある日逮捕され、刑務所に入れられる。刑務所から出るときにいった金は、妻であるまり子の両親が竜二と別れる約束で用意してくれたものだった。半ば無理やりの形でまり子と愛娘のあやと引き離された竜二。竜二はヤクザから足を洗い家族で生活したいと思うようになる。結構すんなりとヤクザからカタギになり、別れていた妻のまり子と愛娘あやと一緒につつましやかな生活を送る竜二だったが、どこか悶々とした毎日を過ごす。酒屋で働くも給与は安く、「野菜が高いわねぇ…」というまり子のつぶやきにも、竜二は「うるせぇ!」と怒鳴ってしまう。仕事からの帰り道、竜二はまり子とあやが肉屋の特売セールに並んでいる姿を目撃する。ショックを受けたように立つ竜二にまり子も気づきお互いの目が合う。竜二は何も言わず、涙を流し、またもと来た道を戻って去っていく。まり子はあやに「またおばあちゃんの家に帰ろうか?」と言う。「また全日空に乗れるの?」と喜ぶあや。エンドロールとともにヤクザに戻った竜二が夜の街を闊歩する姿で終わる。 ざっと言うとこういう話だったんですが、見終わってまず思ったことは、これでいいの?という疑問だった。竜二はまり子とあやとの生活がしたかったのに、また離れることになる。妻子に貧しい思いをさせたくない、という気持ちがあったのはわかるが、ほんとにそれでいいの??? ヤクザに戻ると金が入るという面では今よりも豊かになるかもしれないが、まり子とあやに会える機会は格段に減るだろう。あやの成長を見ることや、まり子と過ごす時間が減っても金に不自由させないことのほうが大事なのだろうか。それとも、もう妻子と生活するのが面倒くさくなったのか。それだと悲しすぎる…。映画から察するに、竜二はヤクザであったほうが、金も地位もあるし、なんせ自分が生き生きと生きられる、そういうふうに見てとれた。 実際に、竜二はヤクザの道を選んだ=金に不自由しない+自分の生きやすい道を選んだ、と私は考えた。竜二としては、金に困らずに、また舎弟の面倒も見てやることもでき、ある一定の地位もあり、竜二らしい生き方ができる。 ここで私にはある疑問が浮かんだ。 “ヤクザもんと一般人(非ヤクザもん)では幸せになれないのか

沈黙者からの復讐

前に雇われていた場所から一通の手紙が届いた。 PQ様の給与につきまして、退職されておられたにも関わらず退職状況の確認が十分にできていなかったことから、(中略)誤って振り込し、大変御迷惑をおかけすることになり深くお詫びいたします。 (中略) 今後はこのようなミスが起こらないように確認を徹底いたしてまいりますので、お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします。 事前に間違って振り込みしたことのお詫びの電話もかかってきていたんやけど、改めて書面で見てもなんだかな~という気分です。別にミスをするのは仕方がないことやと思うやけど、そこに“人と人との繋がり”みたいなものが全く感じられないからかもしれない。 私は数年の間、契約社員のような仕事をしてきた。ようなというのは限りなく契約社員のような業務形態であるが実質は契約社員ではないという何ともあやふやな職であった。契約は1年契約で、(とはいっても半年ごとに更新する)しかも、最後の月は28日で終わるという次年度のボーナスの査定に繋げないために何年やろうがリセットされるシステムであった。(2014年時点) 私はこの仕事でこんなことってあるの?みたいな奇妙な経験をしてきたので、すでに疑り深くなってしまっている。もう少しこの仕事のことについて赤裸々に明かすことができればいいのだが、まだ私の心はそこまでは晒け出せず、ぼちぼち書いていけたらなと思っている。 今回何が書きたかったかというと、この仕事をしていると、所詮自分は、その場限りの繋ぎのための駒なのだなとしか感じられないということである。お詫びの文書が一通来ただけで、以前送ると言っていた給与明細も入っていなかった。お詫びの文書の手違いの内訳が明細の代わりなのだろうか。本当に適当だなと思う。返して欲しいと頼んでいた書類もいつまで経っても返って来ない。 人を人として見ているのか。 どんどん正規で採用される人が減り、私のように非正規雇用の職員が増えているのを肌で感じると、どうも国のシステムがどんどんダメになっていってることが伝わってくる。そこで働く正規の人々もそういうことに何の疑問も持たないような感じ(あくまでも私が働いてきたところでは)だった。これではそのうち本当に破綻してしまう日も近い。自分はそこからもういい加減抜け出そうと思い、出

陽炎座

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陽炎座  監督:鈴木清順 1981年 日本 原作:泉鏡花 大正浪漫三部作である『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』の中の一つ。 1926年の東京。劇作家である松崎(松田優作)は謎の女性品子(大楠道代)と出会う。品子は松崎を贔屓にしてくれるパトロンの玉脇の妻であることがわかる。しかし、玉脇にはもう一人妻がいた。その妻の名前はイネという。イネは病気で亡くなった。しかし、イネが亡くなったあとに、松崎はイネと出会っていた……。 品子に金沢で待つという内容の手紙をもらい、金沢へと向かう松崎。途中でアナーキストの和田(原田芳雄)と出会う。不思議な祭囃子に導かれ、松崎が迷い込んだのは陽炎座という芝居小屋だった。 この作品は内容を説明するのがすごく難しい。とにかく、見終わって思ったことは、すごいもんを見てしまったな、ということである。清順ワールドに引き込まれ、夢と現実の区別があやふやになり、そこで独特の映像を次から次に見せられた。 特に印象に残ったシーン ① 和田についていったら、人形師の館みたいなところに連れていかれて、人形の裏を覗き込むシーン。人形の中にはアレがあった。 このシーン、早く人形の中を見せてくれ!って焦らされるんやけど、見られたときはおおっ、と嬉しくなった。 ② 陽炎座が崩れるシーン まるで花火を見ているように、ほうっと息を飲むように見惚れてしまうシーンだった。無音。全てが崩れていく様子を松崎といっしょに眺める。 ③ 水の入った桶に沈んだ品子の口から鬼灯が一粒出てきて、そのあと大量の鬼灯がブワーッと水面に浮かんで品子の顔を覆うように埋め尽くすシーン これはちょっと鳥肌が立つくらいにすごいシーンだった。何回も撮り直したんだろうなと思っていたら、後で見た大楠さんのインタビューで偶然そうなったと聞いて、まさに奇跡のシーンだったんだなと知った。 この『陽炎座』は『ツィゴイネルワイゼン』もそうでしたが、この独特の清順ワールドにどっぷり浸かって、その世界に連れていってもらえるところが最大の魅了であると私は感じています。松田優作演じる松崎と同じように、自分が生きているのか死んでいるのか、自分はどこへ向かっているのか、生と死や、夢と現実の輪郭がぼ

ファヴェーラの丘

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ファヴェーラの丘(FAVELA RISING) 監督:ジェフ・ジンバリスト マット・モチャリー 2005年 ブラジル/アメリカ ファヴェーラというのはブラジルにあるスラム街のこと。本作では、リオデジャネイロのヴィガリオ・ジェラウという地区に住むストリート育ちのアンデルソン・サーが自身の過去を振り返り、語っていくドキュメンタリー映画。元麻薬密売人や、町の住民たちの話をもとに構成された作品となっている。 ある日、警察と麻薬組織の抗争により、虐殺事件が起きた。巻き込まれた関係のない住民たち。アンデルソンの弟もそのときに、何の罪もないのに、警察に殺された。 どうしたら、こんな争いがなくなるのか。どうしたら暴力が止められるのか。アンデルソンは考えた。 そんなとき、アンデルソンはジュニオールと出会う。ジュニオールはアフロレゲエというチームを結成した。彼らは破壊と変革の神シヴァを信仰し、自分たちの人生の支えとし、虐殺事件に対する報復以外の道を模索し、現実に向き合うよう社会に呼びかけた。 アンデルソンは虐殺のショックから立ち直れず、何もかもうまくいかない時に、ある曲を書いた。そこで、ひらめいた。暴力を止められる最大の武器は文化だということに。音楽と文化によって変革を起こせばいいと思いついたのだった。音楽なら誰の心にも届く。それが答えだった。 ファヴェーラの麻薬組織が儲かっているのに、ファヴェーラに裕福な人はいない。では、金はどこに行っているのかというと、警察に行っているのである。警察と麻薬組織は密接に関係し、武器販売にも警察は関わっている。警察の腐敗はファヴェーラの無秩序の最大の原因であるとジャーナリストは答える。   暴力や麻薬組織に頼らない生き方をし、またファヴェーラで生まれる子どもたちの未来のためにも、変えていかなくてはいけない、そういった強い思いがアフロレゲエのみんなを突き動かし、ここまで活動できたんだと思った。 物語終盤になり、アンデルソンがサーフィン中に脊椎を損傷し、四肢が麻痺してしまう話が始まる。アフロレゲエの顔でもある彼が動けなくなるということで、アフロレゲエの解散も危ぶまれた。しかし、手術の前の夜、アンデルソンと彼の仲間はある老婆に病室で出会う。老婆はアンデルソンに向かって、自分は神の啓示を受けて

野良猫ロック 暴走集団’71

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野良猫ロック 暴走集団’71 監督:藤田敏八  1971年 日本 梶芽衣子さん好きなんで、この野良猫ロックシリーズ大好きなんですが、まだ見たことのなかったこの暴走集団’71を鑑賞。今作には原田芳雄さんが出てるので、私は原田芳雄さんのことも好きなので、今回は原田芳雄さん目当てで見た。 一言でいうと、西新宿にたむろするヒッピーの若者たちが、地方の政治家一団と戦争をする話。野良猫シリーズ第5章(最終章)にあたる。 ヒッピーグループの一人、リュウメイ(地井武男)は地方の名士の息子でありながら家を出てきていた。ある日、リュウメイとその恋人の振り子(梶芽衣子)がイチャついているときに、父親の秘書の手で向けられたバイク集団(親衛隊)に襲われる。リュウメイはその際、一人の男(安岡力也)を殺してしまう。バイク集団はリュウメイを連れ去り、振り子が殺したように見せかけて、その場を後にする。 振り子は冤罪で刑務所に入るが、リュウメイに会いたさに妹と二人で脱獄をする。妹をヒッピー仲間のもとへ行くよう指示し、自分は一人リュウメイのもとへ。この振り子をみんなで助けにいこう!とヒッピー仲間が奮闘する話。 リーダー的な存在のピラニア(原田芳雄)、マッポ(藤竜也)、レモン(司美智子)、シンコ(青木伸子)、ガッペ(夏夕介)、マー坊(鈴木利哉)、ネクロ(常田冨士男)、などのメンバーが振り子を助けるために自転車で(5人乗りや2人乗りなどの)振り子救出に向かう。 さながらロードムービーのようで、リュウメイの地元、振り子が監禁されている町に着いても、その空気感は乱れない。よそ者を嫌う地方の小さな町の人々を尻目に、若者たちは自由に(?)、強盗し、飄々と町の廃屋に陣取り、作戦を練る。 最後はダイナマイトまで持ち出した全面戦争に発展。若者たちは、やられたらやり返せの精神で、その上派手に、破滅をも恐れない行動をとるのである。これぞ野良猫ロック!破滅的なんやけど、どこか爽快感がある、もっとやれ!という気持にさせる話なのである。梶芽衣子さんの役は今回結構控えめだったんですが、かわいさはいつも通りで、すごくよかったです。今回は何と言っても、原田芳雄さんの存在感の厚さ、かっこよさ、やっぱりすごいなと、見ていて思いました。藤竜也さんのちょっと狂気を感じさせる演技

新桃太郎3/鳳凰王子

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新桃太郎3/聖魔大戦(鳳凰王 Magic Warriors) 監督:リー・チュウナン ツォン・インチェン 1988年 台湾 冒頭からアニメっぽい雰囲気で『鳳凰王子』のテロップ。ここで、桃太郎とはもうかけ離れた、鳳凰王子の話になるんだなと察しがつくが、日本でシリーズ化しようと目論まれたのかどうかはわからないが、新桃太郎シリーズとして公開された。 昔、仙界と魔界はいつ果てるともわからない戦いを繰り返していた。あるとき、仙界に修羅士と武蔵という双子が生まれ、勇敢な戦士に成長した。二人は魔界を脅かすほどの存在になった。魔界の大魔王と戦うもとどめを刺すには至らず、怪我を負った兄弟は復讐を誓い姿をくらましてしまった。何年か経ち、弟の武蔵の噂が聞こえた。武蔵は仙界の掟を破り、魔界の姫、妖鬼姫(ようきひ)と結婚をし、金色童子という子供まで生まれたと。今、魔界と仙界の間は、兄弟が行方不明になった『崑崙(こんろん)の戦い』を最後に互いに干渉しあうことなく一見平和なように見えた。だが、武蔵と妖鬼姫の噂が聞こえるに及んで、魔界、仙界双方の動きはにわかに活発になってきた。殊に、妖鬼姫の兄の妖鬼魔王の怒りは凄まじかった。仙界、魔界の的が平和に暮らす武蔵一家に、今まさに絞られようとしていた。 人間界、桃太郎は川で釣りをしている。洗濯に来た女たちに、桃太郎は妖怪が出るという噂があるから、そこで洗濯するのはよした方がいいよ、と注意する。聞かない女たち。一人の女が足を滑らせ川に落ちる。妖怪よ!とはしゃぐ女たち。最初は嘘で言っていたのだが、本物の妖怪が後ろから襲いかかる。すぐさま助けに行く桃太郎。緑の半魚人みたいな妖怪と戦うも、普通の妖怪とはどこか違うと見抜いた桃太郎。その妖怪は妖鬼姫が化けたものだった。妖鬼姫を追いかけるも、逆に罠にかかり捕まってしまう桃太郎。それを見ていた、カタツムリの妖怪と赤鬼みたいな妖怪。ゴミ袋の妖怪。ハエに変身する妖怪。 妖鬼姫の隠れ家にわざと捕まって入ったと言う桃太郎。妖鬼姫に、なぜ女の人を何人も攫ったのかを問い詰めると、中から童子が出てきて、僕のせいなんだ、お母さんを殺すなら僕を殺して!と桃太郎に言う。父親の武蔵も登場し、桃太郎と戦うも、ここで桃太郎が、この夫婦のことに気づく。私には、仙界も魔界も関係ありません。お幸せそうですね、

新桃太郎2

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新桃太郎2(桃太郎大顯神威 Magic of Spell) 監督:チャオ・チュンシン 1988年 台湾 今回の話は、桃太郎のせいで、残り一つとなってしまった悪霊の一族が、桃太郎を葬り去るために悪戦苦闘する話。大魔王は若返るために、若返りの血の風呂に浸かって、その時が来るまで英気を養っている。 1のときにいたおじいさんは、亡くなっていている。あれだけ1でケンカしながらも仲が良かった夫婦だったので、おばあさんは寂しそうである。ある日、桃太郎を師匠と尊敬するというある男(ショウ)が現れる。その男は、桃太郎の家と知らずに、桃太郎の家を訪れる。桃太郎と出会い、家来にしてくれと懇願する。桃太郎は子どもや動物みんなに優しい好青年。空も飛べるし、すごい身体能力を持っている。 夜になり、悪霊どもの奇襲に襲われる。 一方、人参王という食べると不老不死になると言われている人参の精が人間にも悪霊にも狙われている。大魔王の若返りのために子どもを連れて行かれた村の人々が、桃太郎に助けを求めて家におしかけてきた。旅に出かける支度をする桃太郎のもとに、悪霊の医者が現れて、桃太郎に攻撃をしかける。弱って力が出せない桃太郎。仲間を呼んで家をめちゃくちゃに破壊され、ボコボコにされる桃太郎。ここらへんのシーン子どもながらにすごく怖くて、つらいシーンだった。特に、このシーンでおばあさんが殺されてしまうんやけど、そこが本当につらくて、ビデオを見返すときは、ここ以降のシーンを見るようにしていた。 桃太郎の窮地を桃が救ってくれる。 おばあさんをお墓に埋めて弔う桃太郎。この時に、犬丸、猿丸、雉丸がすでに仲間になっている。ここで、この桃太郎2の主題歌が流れて、旅をする桃太郎一行のシーン。たぶん、犬丸猿丸雉丸とは普段一緒に住んではいないが、鬼退治をしている時には招集をかけて成敗しに行っていたのだろうと勝手に予測した。 桃太郎を若返りの薬にすることができなかったので、人参王を捕まえにきた悪霊たち。寸でのところで逃す。桃太郎が休息をとっているところで、人参王(人間ver)に出会う。怪我を負った人参王に、大切な救命薬を飲ませる桃太郎。すっかり傷が回復して喜ぶ人参王。自分の正体を明かし、悪霊に狙われていることを話す人参王。桃太郎の人柄の良さに引かれる人参王。 こ

新・桃太郎

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新・桃太郎1( 捉鬼雜牌軍  The Child of Peach) 監督:チン・チュンリャン チャオ・チュンシン 1987年 台湾 昔々あるところに大きな大きな山があり、その山のずっと奥に、桃の国という桃源郷があった。この国の主は仙人でその子どもに生まれたのが桃太郎だった。 ある日、赤鬼大魔王が桃の国に、太陽の剣を奪いにやってくる。太陽の剣を奪われた桃の国は一気に光を失い、雪が降り出す。赤鬼大魔王に両親を殺された桃太郎は桃の神によってもたらされた大きな桃の中に入り、下界に降ろされた。 下界では、おじいさんとおばあさんが神様に子どもを授かりたいと願っている。ここでのおじいさんが幽幻道士の金おじいさんで、おばあさんがマーボおばあちゃん役の人で、幽幻ファミリーの面々が出ていて嬉しい。 洗濯をしていたばあさんが桃を発見するるが、桃が逃げるので、ばあさんがタライに乗って桃を追いかける。桃に振り回されながらも自宅に到着。桃が光って家具を動かすポルターガイスト現象。桃と格闘するじいさんばあさん。テンテンの妖精が現れ、桃から出ても大丈夫だと促す。桃が割れて男の子が生まれる。 一方悪魔島では… 太陽の剣のお陰で、魔女ボラボラが復活。元気になったボラボラはまた悪いことするぞー!!!と人間界に現れる。赤鬼軍団が人間界に出て暴れ出したのである。 赤ん坊の桃太郎のままでは人間界が危ないと思ったテンテン妖精が桃太郎に魔法をかけ桃太郎を成長させる。井戸を掘り起こしたり、じいさんの芝刈りの手伝いをしたり、持ち前の力を遺憾なく発揮する桃太郎。 暴れまわる赤鬼軍団は、りんご姫を誘拐する。スイカ太郎というデブ隊長が率いる兵隊が鬼退治にいく兵士を募っているという話を聞く。悪魔どもに好きなようにさせてはいけないということで、おばあさんは鬼退治にいくことに賛成するが、おじいさんは桃太郎のことが心配で反対する。 鬼退治に向かうスイカ太郎一行。一緒に行きたいと頼むが、子供だからと追い返される。一人で向かう桃太郎。そこへ犬丸、猿丸、雉丸がついてくる。家来にしてくれと頼む三匹。人間の姿に変身する彼ら目の当たりにして驚く桃太郎。一緒に行こう!と仲間になることを許す桃太郎。 ボラボラに目をつけらられたスイカ太郎。りんご姫に変身してスイカ太郎の

ラビリンス 魔王の迷宮

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ラビリンス 魔王の迷宮(LABYRINTH) 監督:ジム・ヘンソン 1986年 アメリカ おとぎ話が大好きな主人公サラ(ジェニファー・コネリー)は、ある夜、弟のトビーが泣きやまないことに腹を立て、「ゴブリンの王よ、この子をどこかに連れ去って」と愛読書『ラビリンス』に出てくる呪文を言ってしまう。すると、トビーは本当にさらわれてしまい、魔王ジャレス(デヴィッド・ボウイ)が現れて、弟を返してほしければ、13時間以内に迷路を抜けて城に来るよう、サラに告げる。サラは無事城にたどりつけるのか……。 子供の頃から大好きだった映画。 主人公はあのフェノミナのジェニファー・コネリーです。かわいいです。でも、本作は魔王ジャレス役のデヴィッド・ボウイがむちゃくちゃ存在感があってかっこいいです。途中で歌も挿入されミュージカルというかライブというかすごく盛り上がります。私はこの映画でデヴィッド・ボウイを知って好きになりました。 出てくるゴブリンや小人もCGじゃなくてパペットであり、いかにも作り物というところが、逆に味があっていいです。 『不思議のアリス』のような、魅惑の世界に迷い込んでしまうところ、エッシャーの絵のような建物、迷路のような迷宮の世界。インディ・ジョーンズのような冒険。怖いけど美しいファンタジー。サラと魔王のラブストーリーみたいにだんだんなっていくんですが、最後は切ない。しかし、そんなところもいい。ファンタジーてそんな好きじゃないんですが、この映画は大好きです。 監督のジム・ヘンソンは、「セサミストリート」を作った操り人形師。それぞれのゴブリンたちに愛嬌があってかわいいです。ミュータント・タートルズなども手がけておられます。

フレッシュ

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フレッシュ(Flesh) 監督:ポール・モリセイ 1969年 アメリカ 全裸で寝ている男(ジョー・ダレッサンドロ)の姿から始まる。枕で起きろと叩きまくる女。遂に髪を引っ張り無理やり起こす。ブツブツと途切れるカット。気づいたらイチャつき出した。女が友達の中絶費用が欲しいと言い出す。 もしやこれは、ジョー・ダレッサンドロを愛でるために撮った映画かな?という思いがまず、思い浮かんだがそれは間違いではなかった。 街に出て客を待つジョー。なんかこっちもジョーのケツばっかり見てしまうようになるんやけど、そういう意図がなされ撮られている気がしないでもない。ジョーが、最近体を売って生活し始めた男に相談されて答えているセリフがなんかよかった。 “ストレートとかゲイとか関係ない。周りにどう思われても関係ない。気にしていたら生きていけない。自分たちの家族を守るためにやる。子供もいるし、生活しなきゃいけない。他人がどう思おうと関係ない。自分がしたいようにしたらいい。” 途中で、初老のアーティストぽいおじさん、ストリッパーの女、オネエ風の人、ジムで知り合った不能のゲイの男、いろいろな人とジョーは関わり、愛されている。誰に対しても無垢で、偏見がなくて、常識に縛られずに生きているジョーを見ると、退廃的だが、そこに解放感がある。 アンディ・ウォーホル監修ということで、どこまで関わってるのかはわからないが、タイトルの『フレッシュ』が表す通り、ジョー・ダレッサンドロの若くて瑞々しい姿をこれでもかと撮り続けた作品。 ジョーのフレッシュなかわいいケツに始まり、ケツで終わる映画。ごちそうさまでした。

修羅雪姫

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修羅雪姫 監督:藤田敏八 1973年 日本 原作:小池一夫、作画:上村一夫による漫画 あらすじ 家族を殺され、その復讐の相手を一人殺したところで捕まった鹿島小夜。小夜は獄中で生まれた子に雪と名付けるが、死亡する。雪(梶芽衣子)は、母の復讐を果たすため、剣豪でもあった道海和尚のもとで厳しい修行を積み、復讐の旅に出る。 梶芽衣子さんのこと大好きなので、見た。 女囚さそりのときも美しかったが、着物姿も本当に美しい。 復讐のために生まれ、復讐のために生きる、復讐のヒロインを演じさせたら芽衣子さんの右に出るものは古今東西いないでしょう。 主題歌も頭に残る感じで好きです。 恨みに生きる切なさと悲しさ。しかし、そこには強さがあり、前に進むしかない運命を背負ったかっこよさ。アクションもかっこいいし、もう痺れまくりです。タランティーノ監督の『キル・ビル』は本作へのオマージュだそうで、この作品を見れば、梶芽衣子ファンになる気持ちは痛いほどわかる。 続編の『修羅雪姫 怨み恋歌』も面白いです。梶芽衣子さんと原田芳雄さんのタッグ。最強です。 調べて今知ったんですが、藤田敏八監督って『ツィゴイネルワイゼン』の青地役の人やったんか!今いろいろ繋がってきた。すごい。

ピンク・フラミンゴ

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ピンク・フラミンゴ(PINK FLAMINGOS) 監督:ジョン・ウォーターズ 1972年 アメリカ あらすじ 世界一の下品な人間の座を争う話。 もう少し詳しく書くと… 映画史上もっとも下品な映画として有名な、ジョン・ウォーターズ監督の出世作。「世界一お下劣な人間」として有名なディバインは、メリーランド州ボルチモアの郊外で、家族と一緒にトレーラーハウス暮らし。彼女の家族は、ベビーサークルの中で玉子ばかり食べている母=イーディ、ニワトリを使った変態セックスが得意な息子=クラッカー、他の家族に比べると一見普通そうだけど、じつはとんでもない性格の金髪娘=コットンの3人。ディバインは変態社交界での華やかな生活がもとで、お尋ね者になり、今はバブス・ジョンソンという偽名を使って暮らしている。しかしボルチモアには、自分たちこそ「世界一お下劣な人間」にふさわしいと考え、ディバインにライバル意識をむき出しにするマーブル夫妻が住んでいた。マーブル夫妻はディバインたちを挑発し、なんともお下劣な戦争の幕が切って落とされる。 正真正銘の糞映画(比喩なし) この作品はグロというよりも生理的にきつい作品。 レンタルビデオ店などでさらっとコメディのコーナーに紛れて置いてあるときは、何も知らない人が借りたらどうするんやろう、とちょっと心配になる。 いろいろぶっ飛んでて明るいクソ映画(褒めてる) オススメはできないが、むちゃくちゃすぎて逆に元気でる、かもしれない。 同監督の『シリアル・ママ』も好きな作品です。

勝手にしやがれ

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勝手にしやがれ( A BOUT DE SOUFFLE) 監督:ジャン=リュック・ゴダール 1959年 フランス 警官を殺して逃亡中のミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)はパリに着いたものの金もなく、アメリカ人のパトリシアと行動を共にする。二人は逃避行するが、途中でパトリシアに裏切られ、警察に通報されてしまう。 この時代のゴダールのイメージは逃避行。なんかよくわからんなりに、ベルモンドがすごくかっこいいな、と思った。好きな俳優です。 海が嫌いなら 山が嫌いなら 都会が嫌いなら 勝手にしやがれ!

ザ・セル

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ザ・セル(THE CELL) 監督:ターセム・シン 2000年 アメリカ 誘拐した女性を巨大な水槽の中で溺死させる連続殺人事件が起こり、容疑者のスターガーという男は逮捕されるが、彼は分裂症発作で昏睡状態に陥っていた。FBIは患者の潜在意識の中に入るという最先端技術を駆使した治療を実験中の女性心理学者キャサリンに協力を依頼する。 戸惑いながらも凶悪犯の脳に入り込んだ彼女は、その邪悪な精神世界で恐るべき体験をする。 スターガーが女性を入れている水槽は40時間で水が満タンになる仕組み。その溺れていく様子はずっとビデオで録画されている。死んだ女性は漂白剤入りのバスタブにつけて真っ白に仕上げる。スターガーは、その女性の真上に自分の体を吊るし上げ(自分の体にでかいリングを埋め込み、天井からのフックを引っ掛けるボディサスペンション形式)自慰にふける。このシーン印象的だった。 スターガーが逮捕されてから昏睡状態になっているものの、水槽の場所はわかっていない。場所を知るのはスターガー本人のみ。次の犠牲者の女性が溺れ死ぬ前に、その水槽の在り処を聞き出すために、キャサリンは決死の覚悟でスターガーの精神世界に入り込むっていう話。 この精神世界の映像が本当にすごい!どう表現していいかわからんくらいすごい。映像美というか芸術というか独特の世界が広がっていて、これ何の映画やったかな、と思うくらいぐいぐい引き込んでくれる。キャサリンを演ずるジェニファー・ロペスもまた美しくて見惚れた。 スターガーの精神世界に入ることで彼の幼少期からのトラウマや宗教に関しても紐解いていき、キャサリン自身どんどん奥に入っていくんやけど……すごくはらはらさせる展開だった。 とにかく美しい。あとグロい、ちょいエロ、痛い、ハラハラ、怖い、と見た後も余韻に浸れる幻想的な映画だった。また見たい。あの精神世界だけでも見たい。大好きな作品です。 ターセム・シン監督の作品はこちら ザ・セル The Cell (2000) 落下の王国 The Fall (2006) インモータルズ -神々の戦い- Immortals (2011) 白雪姫と鏡の女王 Mirror Mirror (2012)

悪魔のしたたり/ブラッドサッキング・フリークス

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悪魔のしたたり/ブラッドサッキング・フリークス( BLOODSUCKING FREAKS) 監督:ジョエル・M・リード 1974年 アメリカ あらすじ 人身売買で荒稼ぎするサルドゥは、女性を拷問で飼い慣らし、夜な夜な劇場で本物の殺人を売りにしたショーを行っていた。変態マスターサルドゥの拷問ショー。 すごいゲテモノ変態映画です。 人体切断。ギロチン。脳みそドリル。脳みそ吸い出し。おっぱい。乳首電流。 いろいろあるんですが、私にとってこの映画は、見ている途中に母に見つかるという思い出付きの映画です。くれぐれも周りには注意してご覧ください。 マスター!今行きます!

愛と欲望の毛皮

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愛と欲望の毛皮(Pelts) 13 thirteen ~マスターズ・オブ・ホラー2~ より 監督:ダリオ・アルジェント 2006年 アメリカ あらすじ 毛皮商人フェルドマンがお気に入りのストリッパーであるシャンナのために、奇妙な経緯で手に入れた完璧な毛皮を使ってコートに仕立てるが、その毛皮は手にした者の運命を狂わせる危険な毛皮だった。 毛皮商人フェルドマンが最高級のアライグマの毛皮でコートを作り、お気に入りのストリッパーのシャンナの気を引いて自分のものにしたいというような、まさに毛皮を巡って愛と欲望とが織り交ぜられたエログロスプラッター! そのアライグマが聖域に住む神聖な存在だったためにその毛皮に関わったものが次々に変死体で発見される。それは呪いの毛皮だった。 ※以下殺し方ネタバレしまくりですので、楽しみな方はご注意 ①アライグマを狩った猟師(親父)→寝ている所を息子にバットで頭を殴られまくれ死亡 ②アライグマを狩った猟師(息子)→自分でアライグマの罠に顔を突っ込みガシャン!顔半分切り取られる。噴き出る血がリアル。 ③毛皮を裁断した職人→自分で自分の胸から腹の辺りをハサミで切り取り内臓取り出して死亡。 ④毛皮を裁縫した雇われ中国人女性→鼻、目、口を自分の手で一針一針縫い付けて窒息死。 ⑤毛皮商人フェルドマン→コート完成後、シャンナの元へ。ホテルの一室で自分の脂ののった身体をベストのような形に剥ぎ取りシャンナに押し付けようとする。 ⑥シャンナ→フェルドマンに生皮ベストを押し付けられそうになりながらも逃げるが、エレベーターの中でフェルドマンと2人で閉じ込められる。その際に腕をドアに挟まれ千切り取られ死亡。フェルドマンも出血多量(?)で死亡。 1時間ぐらいの短編なんですがこの鮮やかな展開の速さにずっと飽きずに惹きつけられました。さすが巨匠!!特殊メイクもCGじゃないしむっちゃよかった!!! 毛皮が本当に綺麗でみんなが「Oh~!」とか言って顔すり寄せてるの見てかなり羨ましく思った。あのフサフサに触ってみたい。そら取り憑かれるわ。 これぞ純正エログロスプラタ。エロとグロとスピードのバランスがほんといい。 追記(2015.4.9) 当時

デモンズ

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デモンズ(DEMONS) 監督:ランベルト・バーヴァ 1985年 イタリア ゾンビだけど、映画の中では、デモンズと呼ばれている。イタリアンホラーの巨匠、ダリオ・アルジェントが製作・脚本を手がけた作品。 あらすじ 劇場の試写会で上映されていた映画と同じことが実際の世界でも起こる。ノストラダムスの書によると鉄仮面をつけ、頬に傷を受けた者は悪魔の手先、デモンズに変身するとのこと。 試写会劇場においてあった仮面を遊びでつけた女の人が同様の傷を受けてしまい、映画同様の惨劇が始まる・・・というストーリー。 ダリオ・アルジェントが関わってるからかわからんけど、とにかく特殊メイクが綺麗!!(注:リアルグロという意味です。) デモンズの顔がすごい!!これは是非見ていただきたい。グロいの大丈夫な方に! 映画が現実になる映画としてのストーリー、デモンズの顔がすごい、感染力が高い、わけわからん展開、すべて含めてこの映画の良さ(褒めすぎかもしれない)だと思う。 当時映画館で見た人は相当怖かったやろうな。体験してみたかった。続編がどんどん出てさらなるB級化が進んだように思う。

裁かるゝジャンヌ

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裁かるゝジャンヌ(LA PASSION DE JEANNE D'ARC) 監督:カール・テオドール・ドライエル 1928年 フランス ゴダールの『女と男のいる舗道』の中で『裁かるゝジャンヌ』を映画館で見て涙を流すアンナ・カリーナの場面があってすごく印象的で気になっていたので見た。ジャンヌの涙が痛々しくて辛いが、命を引き換えにしても屈しなかったジャンヌに心を打たれた。 あらすじ 百年戦争でフランス軍を率いて英雄となったジャンヌ・ダルクがフランスからイギリスに買い取られ異端審問され、火あぶりの刑に処せられるまでの1日を描く。モノクロ、サイレント映画。ところどころに字幕の画面が挿入される。 以下、思ったことと箇条書きストーリー。 ・異端審問官がことごとく嫌らしい。 ・目線や態度が見ていて腹立つ。 ・横柄な態度やヒソヒソ耳打ち話。 ・威圧的な表情、口調 ・問答で上手くいかなかったら国王からの手紙だと偽の手紙を見せて懐柔させようとする。 ・顔の接写が多用されている。 ・ジャンヌにどうにかして教会のことを悪く言わそうと必死。 ・審問の時点で拷問みたい。 ・どう見ても審問官のほうがサタンの手先(それが人間の本質を表しているのかもしれない) ・ジャンヌは涙を流しているのに、入ってくる審問官たちは下卑た笑いを浮かべていて胸くそ悪い。 ・ジャンヌに冠をかぶせて、「神の娘だとよ」と言って見下して笑う。 ・審問官の視線がいちいち突き刺さってくる。 ・どう考えてもここにいる審問官のほうが悪魔。 ・言うことを聞かなかったから拷問。 ・悪魔にそそのかされたということにして改悛の誓約書に無理やりサインさせようとしたり、拷問しても死なせるな、高値で買い取ったんだからなと言う審問官。 ・ジャンヌ「私を苦しめるために悪魔に遣わされたのはあなただ。」(その通りだと思う) ・審問官はその言葉を聞き、死刑執行が決まる。 ・火刑台前にて押し付けがましい説教。 ・改悛の誓約書にサインしないと火あぶりの刑に処す。 ・半ば強制的にサインしてしまう。 ・我に返り、自分は何てことをしてしまったんだと嘘の証言をしたと審問官に言うジャンヌ。 ・命を惜しみ神に偽りましたと告白

女と男のいる舗道

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女と男のいる舗道( VIVRE SA VIE ) 監督:ジャン=リュック・ゴダール 1962年 フランス あらすじ 女優になることを夢見、夫も子どもも捨ててパリへ出てきたナナ(アンナ・カリーナ)。彼女の遭遇する話を12の章に分け、物語は進んで行く。 このゴダールもわかりやすいゴダールで好きな作品です。 途中でナナが映画館で『 裁かるゝジャンヌ』という映画を見て涙を流すシーンは、モノクロの陰影も相まって大変美しいシーンで印象に残っています。また、他にも、ふと入った喫茶店で哲学者と話をするシーンも印象に残っている。この哲学者の方は本物の哲学者の方で、あのシーンのセリフはすべてアドリブだそう。アンナがけだるそうに、そして時折こちら(カメラ目線)に目を向けてくるところが印象に残り、好きなシーンだった。 女優を夢見てきたが、実際はレコード店で働き、娼婦として客を取るようになる。そして刹那的な最期を迎えるが、そんな中にでも、涙があり、笑いがあり、そんな一人の女性の人生の一部を切り取った美しい作品です。