Posts

Showing posts from May, 2015

The Newest Post

時計じかけのオレンジ

Image
時計じかけのオレンジ(A CLOCKWORK ORANGE) 監督:スタンリー・キューブリック 1971年 イギリス 原作:アンソニー・バージェス ※ネタバレ有ります。 主人公のアレックスは仲間とともに、暴力やレイプなど悪の限りを尽くしていたが、仲間の裏切りにより逮捕される。アレックスは逮捕されて矯正施設に入れられる。そこで政府が開発した「ルドヴィコ療法」という治療の被験者になることで、懲役14年のところをすぐに釈放されるという司法取引を行う。ルドヴィコ療法を受けたアレックスは、暴力やセックスに嫌悪感を抱く人格に変えられてしまう…という話。 全編を通して不快な気持ちにさせる要素満点です。これを見た当時、ジャケットがすごく有名だから、有名なんだろうなと気軽に借りて見たら、とんでもないもん見た、と思いました。 前半部分でアレックスがいろいろな物を破壊したり、レイプしたり、殺したり、何もかもを何のためらいもなく破壊し尽くすところを見て絶句でした。 しかし、全編にわたって、音楽やインテリアなどが大変素敵で、惹きつけられました。ミルクバーに行ってみたい。アレックスたちが話すナッドサッド語も印象的です。 物語の後半部分になり、あれだけ悪の限りを尽くしていたアレックスですが、治療を受けてアレックスらしさを失ってしまう姿を見ると、とても可哀想だと思ってしまいました。 人の自由なアイデンティティー(アレックスの場合は行き過ぎですが)を社会が奪ってしまうことに関して、社会に従属するだけで、自分の意思を持たない機械のようなような人間になることを批判しているのかなと思いました。(社会の抑圧などよって自分の好きに振舞うことができないことへの批判。) そして、政府はそんな勝手な政策をやりつつも、自分たちが進めた治療が最終的に間違っていたとなると、また手のひらを返したかのように意見を変える政府を批判しているのかなとも思いました。 治療後、自殺まで追い込まれてしまったアレックスは、最後に失ってしまっていた人格を取り戻します。これでまたアレックスは悪とされるものに戻ってしまうわけですが、私は見ていて、アレックスよかったなという気持ちになりました。 治療をした後のアレックスは別人だったし、矯正されたとはいえ、

ハックフィンの大冒険

Image
ハックフィンの大冒険(THE ADVENTURE OF HUCK FINN) 監督:スティーヴン・ソマーズ 1993年 アメリカ 誰がなんと言おうとイライジャ・ウッドが一番かわいい映画はコレ!(絵のイライジャはかわいくないです。すみません) ハックと、その友達である逃亡奴隷のジムの冒険物語。しかし、この作品は単なる冒険物ではなくて、黒人差別や奴隷制、生き抜いていくことについて描かれた感動の物語です。 ※ネタバレしている部分もありますので、ご注意ください。 子どもの頃、この映画が大好きで、もう何十回見たかわからないくらい見ている作品です。家にあるビデオを漁っていて偶然出てきたので、見返して見たら、やっぱりすごくよくて、また泣いてしまいました。大人になってから見てみて、なぜ子どもの頃の自分がここまで惹かれたのかなど、なんとなく理由もわかったので、そこも踏まえつつこの映画のことを書きたいと思います。 ハックは母が死んで、父がいるのだけれど、父は1年前から姿を見せず、行方をくらましていた。両親のいないハックは親切な姉妹に引き取られ生活していたのだが、自由気ままに生きるハックは礼儀正しくしたり、ちゃんと学校に行くのが嫌い。友達と殴り合いの決闘の遊びをしたり、夜に部屋をこっそり抜け出し遊びに行く毎日を過ごしていた。そんな中、父親の目印である十字架の印がついた靴跡を海岸で発見し、ハックは父が戻ってきたことを知る。ハックの父親はアルコール中毒で、酒を飲むと暴れ、ハックを殴ったり家の中をむちゃくちゃにします。ハックのことを見つけ、姉妹の家から無理やり自分の家に連れ帰り、ハックの母が残した金をすぐに手にいれるべく、ハックを殺そうとします。 このハックの父親が本当に怖い。この役者さんすごいなと子どもの頃から思ってたんやけど、ほんまに怖い。狂気が溢れてるというか、ほんまに何するかわからん怖さがある。これ、子どもの頃は自分の父親に重ねて見てたんやろなあって今になって思います。うちの父親もアルコール依存症でした。それで、酒飲むと手がつけられなくて、暴れたり怒鳴ったりで、ほんとに、このハックと同じ気持ちで、父親のこと怖いなっていうのがいつもありました。 それで、面白いのが、夜に散々暴れ散らしといて、朝になって酔いが醒めると本人(父

ビデオドローム

Image
ビデオドローム(VIDEODROME) 監督:デヴィッド・クローネンバーグ 1982年 カナダ 小さなケーブルテレビ局に勤めるマックスのもとにある1本のビデオテープが送られてくる。そこには拷問される女性が映し出されていた。この拷問映像は、“ビデオドローム”という名前のチャンネルで流されているものだった。そこに映し出されている映像を見続けると、脳に腫瘍ができ幻覚症状も起き、やがては人間の体まで変えてしまうという。マックスはこの映像を手に入れようとするが、誰がどこで作っているのかも謎。 マックスとマックスの恋人のニッキーはこのビデオドロームにどんどん魅了されていくのだった…。 すごく印象に残っていて好きな作品。私は名作だと思うんですが、好き嫌いは分かれると思います。腹にビデオテープ差し込んだり、腹の割れ目に拳銃ごと腕差し込んだりするところで、えろいな~と思って見てました。 あのビデオドロームの映像だけもっと見たい!と思ってしまうのですが、(別に拷問趣味とかは全くないんですが好奇心から)あれだけ特典映像にしてつけてほしいなとか見終わって思っていました。 グロはすごくリアルで私の好きなCGじゃないグロ。あとなんか後半にかけてわけわからんようになってくるんやけど、もうそんなんどうでもよくなってくるほどに視覚に訴えかけてくる刺激。これだけでこの映画を最後まで見ることができます。 視覚からの刺激で幻覚を見たり、何が現実かわからなくなったり、メディアが発達した現代に我々が陥りやすい危険を表していたり、見ているこちらも何が何やらわからなくなる場所まで引っ張っていくドラッグ・ムービー。 私はこの映画大好きです。頻繁に見たいとは思わへんけど、この変態さ加減がたまらんなあと思います。好きです。 目で楽しむ映画。どの映画もそうやん、と思うかもしれませんが、ほんまです。目で楽しむ映画。まだ見てない方はこの刺激を是非味わっていただきたいです…!(注:グロ大丈夫な方) ほなまた明日

私が『ダークナイト』をあまり好きじゃない理由

Image
ダークナイト(THE DARK KNIGHT) 監督:クリストファー・ノーラン 2008年 アメリカ 『ダークナイト』といえばジョーカー(故ヒース・レジャー)の演技が素晴らしく、世界中で絶賛されていた作品だったので、見てみたのですが、私はこの作品があまり好きじゃありません。もちろん、ヒース・レジャーの狂気の怪演っぷりは息を飲むものであったし、アクションもかっこよかったのですが、どうも好きにはなれない。 では、なぜ私は、『ダークナイト』を好きにならなかったのかその理由を考えてみました。 まず、思いつく理由は以下の6つ。 ① そもそも、『バットマン・ビギンズ』を見たときに、イマイチだなと思ったので、『ダークナイト』に期待していなかった。 『ダークナイト』を見るために、『バットマン・ビギンズ』から見始めたのですが、『バットマン・ビギンズ』でなんかブルースが山頂で忍者修行してるシーンとか、謎の組織を見て、バットマンてこんなB級っぽかったかっけ?と少しびっくりした。 ② ジョーカーのビジュアルが好きではない。   バットマンのビジュアルが好きではない。   バットマンのメカやバットモービルにも萌えない。 ③ バットマンが好きじゃない。   なんかバットマンと友達にはなりたくない。 ④ 好きなキャラクターがいない。 ⑤ 私基準の“リアリティ”に欠ける。 ⑥ ド派手なアクション映画自体があまり好きではない。 ②で、ジョーカーのビジュアルが好きじゃないと書きましたが、ジョーカーのピエロメイクが、口を裂いたって言ってる割には、裂いているように見えない。メイクにしか見えない。しかし、ジョーカー自身はすごく魅力的な人物で、作品のストーリーは面白いと思います。 【ジョーカーとストーリーの魅力】 ジョーカーは、我々の一般常識や道徳をも揺さぶり、性悪説の考え方に持っていこうとする。誰もが悪になりえるし、お前らの言っている正義は、こんなにも薄っぺらいんだ、とジョーカーは言ってきます。 善と悪の二面性を描き、人間は簡単に揺らぐ弱い者ということを見せつけてきます。でも、船のシーンで爆破のスイッチを誰も押さないところなど、人間も捨てたもんじゃないなと思わせる場面も描かれています。この

雨月物語

Image
雨月物語 監督:溝口健二 1953年 日本 幽霊が美しい映画ってあまり見た記憶がないのだけれど、この『雨月物語』の幽霊は本当に美しい。京マチ子さんが演じておられるのですが、その美しさゆえに余計に浮世離れして見えるのでしょう。 主人公の源十郎は妻と子を置いて町へ出る。自分の作った焼き物を売って一儲けしようとしていたのである。源十郎は町で若狭という女性と出会い、屋敷へ呼ばれるようになる。そして、源十郎は若狭に求婚され、どんどん魂を吸い取られていく…。 この若狭という女性が幽霊でっていう昔話のような話なのだけれど、この若狭を演じる京マチ子さんの美しさはこの映画ですごく引き立っていて、見る者を惹きつけます。この作品は人間の愚かさや、未練を持った者の情念であったりそういうことが描かれているんだけど、このようなことは今の時代でも普遍のことで、だからこの映画を見ていても、共感することができるんじゃないかと思った。 源十郎は本当に愚かなやつなんやけど、人間てそういうもんやんなとこういう映画を見ると思います。失ってから気づく大切なもの…。書いてて何だかフェリーニの『道』のザンパノを思い出してしまった。 京マチ子さんの幽霊を見るだけでも一見の価値あり。美しい幽霊です。 ほんならまたね

バーバー

Image
バーバー(THE MAN WHO WASN'T THERE) 監督・脚本・製作:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン  2001年  アメリカ 自分の人生なのに、自分が主役になれない理髪店の男が電気椅子に送られるまでの話。原題は“そこにいなかった男” 無口な主人公のエド・クレイン(ビリー・ボブ・ソーントン)の独白が語り部となってこの物語は進んでいく。彼の語り口は、客観的に人生を遠くのほうから半ばあきらめ気味に見ながら話しているように感じるような話し方で、終始この映画は寂しさや、自分の人生を生きられないエドの哀しさが漂っている。 自分の人生を生きられないとはどういうことかというと、エドは理髪店で働いているが、そもそも理容師になりたくてなったわけでもなく、義理の兄が理髪店を経営していたため、その妹と結婚したことから結果的にそうなった。そして、人の髪の毛を毎日切り続けるという日々を繰り返していた。ある日、閉店時間を過ぎた直後に、カツラを被った男が現れ、新時代のビジネスとして(作品の時代は1949年)ドライ・クリーニングの技術の話を持ち出す。その男の話によると、技術や用意は全て整っているのに、資金を提供してくれる人が急にいなくなったから困っているとのこと。話を聞くうちに、エドはこの商売に乗っかってみたいという気持ちになる。なんの変化もない日常を少し変えてみたい、そんな軽い気持ちからそう思ったのだろう。 では、その資金はどうしたのかというと、自分の妻と、妻の勤務先のデパートの上司であるデイヴが不倫関係にあったので、そのことをバラすという脅迫状をデイヴに送りつけたのだった。そして、バラされたくなかったら、1万ドルをよこせと書いたのであった。こんなふとした出来心からエドの人生の歯車は狂い始める。 生きている限り伸び続ける髪の毛を毎日切ってはゴミ箱に捨てる。妻との関係は冷めきっている。自分が目をかけたい(応援したやりたい)子(スカーレット・ヨハンソン)の存在に癒されるも、実際は自分の思っているような子ではなかった。自分の犯した罪でさえ、罪と認めてもらえない。自分の声は誰にも届かない。自分が存在しているのかさえもわからないくらいに自分は霞んで見える。 無表情で常にタバコを吸い続けるエドからは言葉はほとんど発せられ

反逆のメロディー

Image
反逆のメロディー(MELODY OF REBELLION) 監督:澤田幸弘 1970年 日本 原田芳雄のかっこよさ炸裂。 話の内容としては、ヤクザの抗争劇。 ヤクザでもテツ(原田芳雄)はジージャンにジーパン、ジープで走る。ヤクザの中でも群れないアウトローっぷりを発揮しています。そんなテツと手を組むことになった滝川(藤竜也)や、最初は敵対していたが後に手を組むことになる星野(地井武男)、それから星野の妻アキ(梶芽衣子)と、私が好きな野良猫ロックメンバーが出ており、テンションはすごく上がりました。 他にも、テツの手下となるゲバ作(佐藤蛾次郎)もかっこよかったし、立花組の姐さんのお竜(冨士眞奈美)も美しくて、見所がたくさんありました。 最後のテツと滝川が工場の完成パーティーに二人だけで乗り込んでいくシーンのかっこよさといったら…! 体制に反抗するアウトローっぷりを最後まで貫き通すテツ、そして、原田芳雄のかっこよさの原点を見た気がします。 大変力強くて、パワーのある作品でした。野良猫ロックシリーズが好きな人は好きだと思います。野良猫ロックシリーズをまだ見ていない人は是非野良猫ロックシリーズも見てみてください。この時代のエネルギー溢れるこの感じ好きやな~ 破滅的なんやけど、『気狂いピエロ』とか『勝手にしやがれ』にも通ずる刹那を生きる人物が生き生きと、しかし、生き辛く描かれているところが好きです。 ほな

みな殺しの霊歌

Image
みな殺しの霊歌 監督:加藤泰 1968年 日本 逃亡中の殺人犯である川島(佐藤 允 )が、潜伏中に少し仲良くなったが、ある事件をきっかけに自殺してしまったクリーニング屋の少年の復讐のために、5人のマダムを次々とレイプし、惨殺していくというもの。 川島がマダムを次々と殺していくのと並行して、潜伏先で出会った、料理屋の春子(倍賞千恵子)に惹かれ距離を縮めていく。 警察は、最初、マダムたちはの繋がりが理解できず、犯人をなかなか見つけられない。この川島がこのマダムに復讐するきっかけとなった事件というのは、このマダムたちは、いつも5人で集まって麻雀をして遊んだりしていて、ちょうどクリーニング屋の少年がクリーニングする服を取りに来たときに、AV鑑賞会をしていて、欲情したマダムたちは少年を無理やり部屋に招き入れ、犯した(輪姦した)のだった。少年はその次の日にビルから飛び降りて自殺をする。 それを知った川島は、少年の名前も知らなかったが、なぜか少年とは生前から心を通わせていて、それを聞いて純粋なものを汚されたと怒り狂う。そして、今回の連続強姦殺人事件を起こす。 殺し方の方法というか制裁の仕方が、レイプってレイプマンかよ!って心の中で突っ込んだんですが、レイプして殺害しているので、レイプで矯正というレイプマンの主旨からは外れるものだった。(レイプマンとは→ http://ja.wikipedia.org/wiki/THE_レイプマン ) 内容的は終始どんよりとしていて、サスペンスという感じなんですが、川島と春子が仲良くなっていく様子はそれと対比して穏やかな空気を感じさせてくれます。映画の撮り方など私はあまりよくわからないのですが、人物の顔のアップがたくさんあったり、下からのアングルで撮られている場面が多かったりと、映像の写し方に特徴があってそこが面白かったです。この映画がモノクロであるというのも、この物語に重厚感や乾き、じっとりとした暑さなどを伝えるのに役立っていたと思います。 そもそも、5人の女性にレイプされて自殺した名前も知らない少年のための復讐というのが現実的ではないし、実際に自分がレイプして殺すってのも救われないなと思うのですが、川島役の佐藤さんの鬼気迫る表情や、春子の倍賞千恵子さんのかわいさ、映像表現の特殊さがこ

ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ

Image
ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ(JE T'AIME, MOI NON PLUS) 監督:セルジュ・ゲンズブール 1975年 フランス ゲイのカップルとストレートの中性的な女性との三角関係を描いた話。 主演の3人はクラスキー(ジョー・ダレッサンドロ)、パドヴァン(ユーグ・ケステル)、ジョニー(ジェーン・バーキン)。ジェーン・バーキンとジョー・ダレッサンドロって最高じゃないですか?美しいわ~ ゴミの回収を仕事にしているクラスキーとパドヴァン。荒野の小さなバーで働くジョニー。この映画の舞台自体は汚い場所であるにも関わらず、見終わった後は、美しい映画を見たなあ、と思わせてくれる映画です。 クラスキーは、少年のように見えるジョニーのことを気に入り、ジョニーもクラスキーのことを好きになっていきます。それを不安そうに見つめ、荒れていくパドヴァン。 クラスキーは、女性の体であるジョニーに対して、正常位でセックスすることができず、無理だと言います。すると、ジョニーが「私を男だと思って」と言って、後ろから攻められる場面はすごいなと思った。 アナルが痛すぎてジョニーがギャーギャー言いすぎて、どこのモーテルも追い出されるみたいな展開にちょっと笑ったらあかんのやけど、ちょっとだけ笑ってしまった。なんか微笑ましかった。 それで、結局最後に、自分たちのトラックの荷台の上で無事(?)結ばれて、そこで、クラスキーが「大切なのは体の向きじゃない。体を交わらせて同時に達するとこだ」みたいなことを言うんですけど、ちょっと感動した。セクシュアリティを越えてお互いが通じ合ってるって素晴らしいなと感じました。このシーンの音楽もすごくよかった。 でも、私がいつも感じてたのは、パドヴァンのことは大丈夫??という一抹の不安であった。 クラスキーは純粋さ故に、悪気なくやってるように見えるんやけど、当のパドヴァン本人は心中穏やかなはずはなくて、涙を流しながら、「あの娘がいいのかよ!」とクラスキーに突っかかるところは、かわいそうながらもかわいいなあと思いました。 そして、ついに、パドヴァンが我慢仕切れなくなって、いつも持っている大きめのビニール袋をジョニーの顔に被せて殺そうとします。通りがかったクラスキーがそれを発見し、見つかったパドヴァンは

マグノリア

Image
マグノリア(MAGNOLIA) 監督:ポール・トーマス・アンダーソン 1999年 アメリカ ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画をこの『マグノリア』で初めて見ました。“マグノリア”=“モクレン”というこの花の名前に惹かれて見ました。私はモクレンが結構好きです。 登場人物が何人かいて、それぞれの人物にスポットが当てられて、同時進行で物語が進んでいく。スポットを当てられる人物は、人気クイズ番組の司会者、ヤク中の女、真面目な警官、天才クイズ少年、元天才クイズ少年、セックス教団の教祖、豪邸に住む老人、その老人の若い後妻、老人の介護人、などなど… 一見、全く関係がないそれぞれの人物が交錯してつながっていく。現実では“ありえない”と言われていることも、現実に起こったりする。 生きていたら、どこで何が起こるかわからない。ラストの少し前に、登場人物のそれぞれの人が歌を歌って、みんなでつながっていくところがよかった。 この映画は、この偶然のつながりを映画にしているが、こういう映画みたいな偶然のつながりって現実にあるよなって思った。(実際に劇中でも、映画みたいなことが起こっている、と言っている人物がいる) なんかよくわからんけど、見終わってよかったなあと思った。元気が出た。 世間はせまいな~ ほな

悪を呼ぶ少年

Image
悪を呼ぶ少年(THE OTHER) 監督:ロバート・マリガン 1972年 アメリカ 子どもが怖い系サイコホラー。 子どもが怖い系と言えば、『オーメン』がすぐに思いつくのだが、この映画は『オーメン』よりも前に撮られた作品。『オーメン』のダミアンが悪魔の子であるのに対して、この『悪を呼ぶ少年』に出てくる双子の兄弟、ホランド(兄)とナイルズ(弟)は普通の少年です。そこが余計に怖いところ。 この双子の兄弟は、兄のホランドはいたずら好きで、動物を殺したり、人を殺したり、むちゃくちゃなことをする性格です。それに対して弟のナイルズは、温厚で物静か。エダおばあちゃんと一緒に空想のゲームをするのが大好きな性格です。 ある日、従兄弟のラッセルが藁の上に飛び降りる遊びをしているときに、藁の中に隠れていたピッチフォークに串刺しになり息を引き取ります。ここから、双子の周りでいろいろな事件が起き始める…。 田園風景がすごく綺麗で印象に残る映画です。映像が美しいだけに、作品全体におどろおどろしさはなく、その分、美しい無垢の中にある狂気が浮き彫りになり、そこが怖かったです。途中でこの双子の秘密が明かされるんですが、明かされて終わりでなく、そこからさらにエスカレートしていくのも怖かったです。 ペリー家に代々伝わるハヤブサの指輪、切り取られた指、ホルマリン漬けの赤ん坊、井戸、脱出の手品、おばあちゃんとのゲームなど謎を解く鍵となる品々が物語中に伏線としてちりばめられていてそれが最終的に全てわかったときは、そうだったのか、と納得しました。 次どうなるんやろう、とぐいぐい引っ張られて集中して最後まで見ました。すごく面白かったです。双子の少年が無邪気ですごくかわいいんだけど、どこか見ていてすごく不安にさせる存在だった。 以下ネタバレありますのでご注意ください。 ================================= エダおばあちゃんが責任を感じて双子と死のうとするのが可哀想だった。 ホランドがあまり映らず、ナイルズ中心で物語が進んでいくところや、母がやけに井戸に執着しているところなどから、ホランドとナイルズが同一人物だったということは割と早くに想像がついたが、兄を失ったショックと寂しさから、兄の人格を自分で

「What Would You Do?(あなたならどうする?)」を見て考えたこと

Image
アメリカのABCニュースがやっている「What Would You Do?(あなたならどうする?)」という番組をtwitterで見かけて、ふと見てみたら、すごい番組だった。 この番組はドッキリ番組なんですが、日本のドッキリ番組のような感じではなく、いろいろな人に対する差別や偏見を目撃したときに、“あなたならどうする?”と、どういう行動をするのかを問いかけられる番組です。差別する人も差別される人も役者がやっているんですが、その芝居を見て、周りの人はどうするか、ということをカメラが追います。 私が初めて見たのは、この回です。 レズビアンのカップルがウェディングケーキをケーキ屋で注文しようとしたら店に断られた現場を目撃したとき、あなたならどうする?ってやつだった。 見て見ぬ振りする人、差別する店員と同調する人、同性愛を信じない人、一緒に言い返してくれる人、同性愛に関してというよりも、同性愛者にケーキを売らないという差別をすることに関して問題を指摘する人など様々だった。 私だったらどうするか… 私が、もし、この場に居合わせたら、注文を断る店員に声をかけることができるかどうか。「なんでダメなんですか?」ぐらいは言えるだろうか。「なぜ、レズビアンカップルだったらダメなんですか?」て聞くかな。あと、「ケーキが売れることは、あなたの店にとってはいいことじゃないんですか?」って言う。それで、店員の信条で売れないと言われたら、私だったら、このカップルに「もうこの店で買うのはやめとき、私も買うのやめるわ」と言うと思う。 普段、人見知りで他人と接するのがあまりうまくない私ですが、もし、こういう現場に自分が遭遇したとき、自分だったら、助けてもらったらすごく嬉しいだろうなと思うから、そういう場に自分が遭遇することがあったら勇気を持って声を上げたい。 別のパターンも考えた。 私がゲイorレズビアンだったとして、それを理由にケーキの注文を断られた場合。もしくは、恋人と買いに行って、「あなた方はゲイですか?」と聞かれた場合、果たしてYESと言うことが自分にはできるだろうか? もし、自分だったら、他人のケーキを頼むふりをして何事もなかったように注文するんじゃないだろうか。自分がはっきり「私たちはゲイで

ファイナル・デッドブリッジ

Image
今回は、ジェットコースター映画のご紹介。 遊園地のジェットコースターに乗るのは苦手なんですが、映画のジェットコースターならどんと来いです。今回は気軽に見れるジェットコースター映画で私が好きな映画を紹介します。 その映画とは、 『ファイナル・デスティネーション』シリーズ! です。 いやあ、このシリーズ、昔から好きだったんですが、ふと、レンタルビデオ店でこのシリーズを見つけて 5 作目 ( 最終作 ) が置いてあったので、軽い気持ちで見てみたら、やっぱり面白かったです。 で、今回見た5作目のタイトルは、 『ファイナル・デッドブリッジ』。(FINAL DESTINATION 5) 監督:スティーブン・クォーレ 2011年 アメリカ 時系列的には、 1 作目の前の物語になっています。だから、この5作目から見ても大丈夫です。十分楽しめます。ブリッジという名前にあるように、冒頭、主人公のサムは社員研修旅行へ行く途中のバスに乗っているときに大きな橋で大事故が起こり、自分たちが死んでいく様子を予知夢としてみます。我に返ったサムは、橋の上からみんなに逃げるように言い、元恋人のモリーを連れて逃げ出します。実際、サムがそのことを言いだしてから数分後に橋は亀裂が走り、バスに乗っていた 8 人は生き残るが、他の人々は亡くなってしまいました。 死から逃れたサムたちだったが、死ぬ運命からは逃れられるのか ... !というのが今回の話。 もともと死ぬ運命というものがあって、それにより、 1 人ずつ生き延びた人が殺されていく。このシリーズの面白いところは、殺人鬼が出るわけでもなく、幽霊が出るわけでもなく、殺しにくるのが運命 ( 偶然による事故など ) だというところです。 一点だけ注意を言うとすれば、この映画を見る人は “ グロに耐性がある ” この条件さえクリアできれば、この映画はすごく楽しめます。次から次へとテンポよく、リズミカルに、スタイリッシュ (?) に、運命が鮮やかに人を殺してくれるので、次はどんな殺し方なんやろう、と慣れるとワクワクしながら見てしまいます。不謹慎かもしれませんが、この作品はそれを楽しむための映画だと思っているので、気軽に、何も考えずに、ジェットコースターに乗って、人が運命に翻弄さ

インターネットの回線変えたこととビデオライフ

Image
インターネットを光回線からWiMAXというやつに変えた。まだ使って1日だけど、実感として速度が速くなった。あと、コンパクトで部屋の配線にうんざりしていた身としてはすごく使い勝手がいい。いつも思うんやけど、インターネットのプロバイダとか携帯電話の料金体系ってなんであんなに複雑なん? NTTでやってるとき、なんちゃら料金回収代行代金とか書いてあってよくわからなかった。あと、いつも電話繋がるのがすごく時間かかって、解約させるのを面倒臭くさせようとする気満々だなと思ってしまうようなやり口に辟易する。今回すっぱりと切り替えようとしたときも、解約金が発生しますが、と強気で言われたけど、契約をやめました。 今までは父が契約していて、私が料金を支払うという形式で、私が引っ越ししたり戻ったりいろいろしている間に、インターネットをいつからやったとかわからなくなってたから、いい機会だった。今回は2年契約だからそれも考慮して、2年後には解約するかまた続けるかを考えたい。 ___________________ ビデオを返して借りてきた。 毎回行くと、新たな発見があるから驚く。ビデオ屋でいつも自分はどれくらいの時間を費やしているのだろうか。結構速く選んでいるつもりでも30分は見て回っている気がする。何回来てても店内を一回りしないと気が済まないのです。 ジェーン・バーキンの見たいやつを発見したときが今日のビデオ選びで一番興奮した瞬間やった。あの場所いつも見てるのになんで気づいてなかったんやろう。そして、気軽に何も考えんで見れるやつも見たいと選んだやつが、ファイナル・デスティネーションシリーズの最終章のやつ。ジェット・コースター系ピタゴラスイッチ式ホラー(?)。このシリーズは、どういう殺し方で今回は撮ろう?ってそっから入ってるんやろなと勝手に予測しています。でも、北野武監督が、アウトレイジ作ったときのインタビューで、「どういう殺し方してやそろうかなってそっから考えた」っていってたから、なるほどな~と見終わって感じたのを覚えている。アウトレイジもビヨンドやったかどっちか忘れたけど、すごい死に様を見せてくれる作品です。おもろいです。やくざ映画ってそんなに好き好きではないんですが、スッと見れる映画で好きな作品です。(※過激描写はもちろんあります。)

『声優魂』から感じる大塚明夫の役者魂

Image
私は大塚明夫さんが大好きです。なぜ好きかというと、『メタルギアソリッド』シリーズのスネークが好きだからです。いや、スネークが好きで、同時に大塚明夫さんのことも好きになった感じです。 本書は、大塚明夫さんが、“声優だけはやめておけ”と声優を目指す若者向けに書かれたものである。声優業におけるハイリスク・ローリターンの仕組み、声優という華やかなイメージの裏に潜む実態や、厳しさを自身の人生を振り返り、語られていく。 私は、声優を目指しているわけではないが、大塚明夫さんのことが好きなので、どんな話しが聞かせてもらえるのだろう、という好奇心から本書をめくった。 結果、大塚明夫という人の生き方、生き様、俳優業・声優業に懸ける信念をひしひしと感じ、改めて惚れ直した。あのかっこいいオーラは、この人生を歩んできたからこそ出せるオーラであったのかと、本書を読んで思った。大塚さんがあそこまで輝けるのは、やはり役者という仕事を心から好きだからなんだなということがわかった。そして、それくらい好きじゃないとこの仕事はできないし、続けられないし、この道しか自分にはないという思いで日々歩まれて来られたのだということもわかった。 大塚明夫さんが喋っていると、そのまんまスネークだし、自分がスネークを好きなのか、大塚さんが好きなのかわからなくなってくる。(どちらも好きのだが) それくらい、スネークと大塚さんがダブるくらいに、大塚さんがスネークを演じていらっしゃるのだと思うし、大塚さんの生き様やオーラがスネークに投影されているのだと思った。 私はそれほど声優に詳しくありませんが、大塚明夫さんが人気なのは、もちろん“いい声”というものありますが、そのいい声を支えるバックグラウンドに、大塚さんの役者魂があるからなんだと思います。そして、その声やキャラクターを見ると、声だけなのに(本人の姿は見えないのに)、かっこいいなあ!と感じるんだと思います。肌で感じるというか、表現は難しいのですが、ほんまにかっこいいんです。 本書では、ネイキッド・スネークのことを、生身の自分を材料に演じられたとおっしゃっていました。自分はメタルギアシリーズの中で、ネイキッド ・スネークがでてくる『メタルギア・ソリッド3』が1番好きで、ネイキッド・スネークには特に思い入れもあったので、このエピソードを聞いて、何

何がジェーンに起ったか?

Image
何がジェーンに起ったか?(WHAT EVER HAPPENED TO BABY JANE?) 監督:ロバート・アルドリッチ 1962年 アメリカ 本物のホラー。 子役の頃は大人気で一世を風靡したベイビー・ジェーンは、大人になってから大根女優と言われ、事務所からも契約を切られたがるまでに落ちぶれていた。一方、ジェーンの姉のブランチは、成長し、大女優となり大金持ちになっていた。 ブランチ主催のパーティーの帰り道、ブランチの家のガレージに車を入れるところが画面に映される。ガレージの扉を開けようとする女性。その女性の後ろからアクセルをふかし車を発進させる女性。悲鳴が上がる。運転席にもう人はいない。割れるベイビー・ジェーン人形。そして、それに合わせるようにタイトルバック。ここすごくかっこいい。タイトル通り、“何がジェーンに起こったの?”と思わせます。 数年後、車椅子に乗るブランチと子ども時代の衣装と髪型のまますごい厚化粧をしたジェーンが現れます。二人は一緒に暮らしています。妹のジェーンは姉に来た手紙を捨てたり、姉の人気に嫉妬し、嫌がらせをします。ジェーンは、過去の栄光にしがみつき、酒浸りの日々。ブランチは事故で下半身不随になっており、2階の部屋から出られない生活をしていました。 ブランチが部屋から出られないのをいいことに、ジェーンはブランチに嫌がらせばかりします。子役気分になって、役に浸っているところへ、鏡を見て自分の老婆の姿を見て悲鳴を上げるジェーン。ここすごい怖い。というか、ジェーンが全体を通してすごく怖い。ブランチと同じ気持ちで、いつジェーンに殺されるんじゃないかと終始ハラハラさせられます。 ジェーン役のベティ・デイヴィスの狂気に満ちた怪演と、それに翻弄されるブランチ役のジョーン・クロフォードの競演がすごい。本業の女優のほうでも二人はライバルだったようで、そのバトルがこの演技にも溢れていて壮絶だった。 姉のブランチを執拗にいたぶるジェーンもホラーだが、自分の家でかつてのステージを思い出し、歌い出すジェーンもホラー。ジェーンの狂気っぷりのエスカレートがラストにつれてどんどん増していきます。そこが怖いのですが、目が離せないところです。 そんなジェーンがどんどん狂っていく様を観客の私たちはずっと追ってい

イカとクジラ

Image
イカとクジラ(THE SQUID AND THE WHALE) 監督:ノア・バームバック 2005年 アメリカ 監督自身の経験をもとに書かれた自伝的映画。両親が離婚する話。両親の離婚を機に共同監護システムのもと、父の家と母の家を行ったり来たりする二人の子どもの精神的成長や、家族一人ひとりの人物が丁寧に描かれている。 『イカとクジラ』というタイトルは、長男のウォルトが子どもの頃に見た自然博物館にある大きなイカとクジラが格闘している模型のこと。彼は子どもの頃はこの模型を見るのが怖くてしっかり見ることができなかったかが、ラストシーンでは、一人でこのイカとクジラの模型を見に行きます。イカとクジラというのは恐らく、ウォルトの両親のことを表しています。ここで映画は唐突に終わりますが、これはウォルトが冷静に両親のことを見ることができるようになったということを表していると思いました。 両親が不仲なのは、子どもをものすごく不安にさせます。私も子どもの頃両親がそうだったからそこは共感しました。言い合いをしている声が1階から聞こえてきて、自分は寝に上がったけど不安で眠れないとかね。自分のことも思い出しました。離婚によって見えてくる様々な嫌な面、(母が浮気しているとか、父が大学生を家に呼んでなんかヤッってるとか)そういうところをすごく嫌になるくらいリアルに描き出していて、嫌なんやけど、人間てそうやんな、と思わせる映画でした。 この映画を見ていて、ベルイマンの『ある結婚の風景』を思い出したのだけど、あの映画は夫婦の結婚生活にスポットをあてじっくり描き出したという感じなのだけれど、『イカとクジラ』では、それに子どもたちの視点も加わってもうちょっとコメディっぽくした感じで描かれている。実際、監督のインタビューを聞いていると、美術監督のアン・ロスが『ある結婚の風景』みたいな壁の色を再現したい、と母の家のほうの壁を茶色にしてそれを“ベルイマン・ブラウン”と呼んでいた。ベルイマンを思い出したのはこの壁の色もあったんだなと思った。 子どもにとって親は絶対的な存在で、その親が離婚をするとなると子どもは不安になる。しかし、親も一人の人間であるわけで、ダメな部分もたくさんあり、そういうところを見て、子どもは、親のことを客観視できるようになるんだなと、自分の経

ぼくを葬る

Image
ぼくを 葬る(LE TEMPS QUI RESTE) 監督:フランソワ・オゾン 2005年 フランス プポーのプポーが見れる映画(違)(いやでもあれ作り物だと思う) ゲイの主人公ロマン(メルヴィル・プポー)が癌で余3ヶ月と宣告される。ロマンは恋人にもそれを告げず、唯一心を開くことのできる祖母(ジャンヌ・モロー)にだけ打ち明ける。子どもを欲しがるが子どもができない夫婦に精子を提供し、最後は砂浜の上でゆっくりと生を終えるロマン。静かに美しく波音だけが響く。 という、プポーが美しいだけの映画だった。 いやあ、これはドラン監督もロランスにしようって思うわな。プポー美しい。 途中で集中力が切れて寝てしまって、祖母のくだりで起きて見て、またうつらうつらして最後見て、って感じだったんで、内容はじっくりと把握できていないのですが、記録。 自分はこういうちょっと静かな映画はすぐに寝てしまう癖があって、あかんなと思うのだが仕方ない。 プポーってなんであんな魅力的なんやろ?『わたしはロランス』のロランスもよかったし、本作のロマンも本当によかった。プポーよかったとしか言ってませんがプポーよかった。ばあちゃんもよかった。 フランソワ・オゾン監督の他作品はこちら サマードレス Une robe d'ete (1997) 海をみる Regarde la mer (1997) X2000 X2000 (1998) ホームドラマ Sitcom (1998) クリミナル・ラヴァーズ Les Amants criminels (1999) 焼け石に水 Gouttes d'eau sur pierres brulantes (2000) まぼろし Sous le sable (2000) 8人の女たち 8 femmes (2002) スイミング・プール Swimming Pool (2003) ふたりの5つの分かれ路 5x2 (2004) ぼくを葬る Le Temps qui reste (2005) エンジェル Angel (2007) Ricky リッキー Ricky (2009) ムースの隠遁 Le Refuge (2010) しあわせの雨傘 Potiche (2010) 危険なプロット

『ラ・ピラート』と家族の形

Image
ラ・ピラート(LA PIRATE) 監督:ジャック・ドワイヨン 1984年 フランス この物語の主要な登場人物は5人。 No.1 キャロル  (マルーシュカ・デートメルス) No.2 アルマ   (ジェーン・バーキン) No.3 アルマの夫 (アンドリュー・バーキン(ジェーン・バーキンの兄)) No.4 謎の少女  (ロール・マルサック) No.5 5人目の登場人物でNo.5と少女に名付けられた男(フィリップ・レオタール) No.2のアルマを他の4人が好きすぎて、みんなの思いとアルマの思いは噛み合わない。こんなシチュエーションの中、アルマは逃走。4人は逃げたアルマを団結して追いかける......話。 書いててどんな話や、とツッコミたくなったんですが、ほんまにこんな話です。キャロルとアルマは元恋人関係にあり、冒頭、キャロルはアルマに会いにアルマの家の前に車を停めて待っている。アルマは夫がいるが、キャロルの姿を見つけていてもたってもいられず、駆けつける。アルマの夫は、アルマを連れ戻しに2人の元へ追いかけてくる。そして、2人のいるホテルで夫、アルマ、キャロルの乱闘が起こる。このシーン結構迫力あって、さすが兄妹!(?)と思って見てた。少女とNo.5はそれを見守ったり、掻き回したりする狂言回しのような役回りで、渦中の3人を煽ったり、慰めたりという役割をしています。 アルマ以外の4人は敵対しているようで、アルマのことがみんな好きなところは共通していて、団結したり、一緒に同じ空間で話したり、そういうところがすごく面白い。 アルマの夫はアルマのことを取り返しに来たむっちゃ怖い人なんかと思いきや、アルマと乱闘になったら、廊下にへたり込んで泣いてるし、キャロルに逆に慰められたりしてるし、妻をキャロルに奪われたかわいそうな夫としてちょっと同情してしまった。 この5人の人間模様を見ていくストーリーなのだが、アルマはキャロルか夫かどちらのことも選べません。それゆえにアルマも苦しみます。そして、それを見守る、少女とNo.5もアルマのことが好きなのだから、アルマはどこにも行けない状態になってしまいます。 この話を見ていて、“家族”って何?という疑問が浮かびました。だって、誰も悪くないやん。アルマのことみんな好きな

儀式

Image
儀式 監督:大島渚 1971年 日本 戦後の桜田家一族のどろどろに翻弄される一人の男、満洲男が自分の過去を振り返りながら、従兄弟のテルミチの元へ船で向かうという話。 むちゃくちゃ端折りましたが、この“どろどろ”部分がほぼ作中の内容です。戦後、満洲から母と二人で引き上げてきた満洲男は父親が自殺したことから、祖父に桜田家の跡継ぎとして引き取られます。桜田家は家父長制そのもののような家。祖父は息子の嫁や、何人もの妾に子どもを産ませ、もう一族が誰が誰やら複雑すぎてよくわかりませんでした。その中で、満洲男の叔母にあたる節子さんのことが私は印象に残っています。小山明子さん演じる節子は大人の魅力があり、しかしどこか怪しく、影のある女性でした。満洲男も節子さんのこと好きなんだなということが伝わってきました。 好きな内容でもないし、話はほぼ桜田家の屋敷の中で進んでいくし、ほぼ葬式か結婚かしかない内容なのに、最後まで見ました。どうなるんやろう、どうなるんやろう、と引っ張っていく力がこの映画にはありました。あと、小屋の中に入ったら、いきなり外になっていたりなどぶっ飛び演出もあり、そういうところも私が集中力を切らさずに(眠らずに)見られた理由だと思います。 以下、印象に残ったところ ・祖父が一族の女性をほぼ全員を食ってる ・家父長制に振り回される男性の存在 ・小山明子さんかわいい ・桜田家の女性の眉毛全剃りの掟 ・エア挙式 ・エア挙式の日に葬式 ・遺体を棺桶から出してそこに自分で入る満洲男 ・エア初夜 ・小屋の中に別次元 ・祖父の後ろから青い後光が差している(常に) ・地面に耳をつけて亡くなった弟の声を聞こうとする満洲男 家父長制は男性優位の制度だと思っていたのだが、その制度に苦しめらる満洲男(相手がいないのに早く跡継ぎを残せとか、おじいさんの仕事の跡を継げ、と周りに急かされて、げんなりしている様子)を見て、家父長制に苦しんだのは、女性だけじゃなく、男性でも苦しんだ人がいたのだと知ったのが衝撃的だった。しかし、そもそも家父長制には女性の権利なんてないので、そう考えると満洲男の苦しみは女性よりもよっぽどましだが。 大島渚監督は冠婚葬祭儀式への批判、一族の連綿と続く儀式の滑稽さを描きたか

ビヨンド

Image
ビヨンド( ...E tu vivrai nel terrore! L'aldilà ) 監督:ルチオ・フルチ 1980年 イタリア 美しいグロを見たいならこれ! 初めてのフルチ作品がこれでした。ストーリーはわけわからんのですが、なんせグロ描写がテンポ良く出てきて飽きさせない、それも感動するくらいのグロ…! 『サンゲリア』、『地獄の門』に続いて撮られたゾンビものらしいが、ゾンビの印象全然ない。少女ゾンビの頭がパーンと破裂するのが美しすぎてスロー再生した記憶が…。どうなってんの?すごい!と。 音楽も印象的ですごく良いです。最後は異次元に行ってしまう(?)もうわけわからん感じですが、そういう独特の雰囲気も含めて大好きな作品です。 特長 ・グロにだけ(?)力を入れた作品 ・ストーリーは破綻 ・硫酸ぶっかけ ・眼球破壊 ・タランチュラ襲撃 ・少女の頭部破壊 ・曲すんごくいい ・シェパードかわいい ・白目になっちゃう ・フレッシュすぎる血しぶき ・ゾンビほんの数分しか出ない ・地獄の門が開いたんやからしょうがない 好き嫌いあるかもしれませんが、グロ好きな人には全力でオススメします。 ほなまた