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ジョーカー

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Joker 監督:トッド・フィリップス 2019年 アメリカ バットマンシリーズはあんまり好きではないのですが、(好きでなはい理由は こちらの『ダークナイト』の記事 に書いております。)今回の『ジョーカー』は、宣伝を見て少し気になっていたのと、ジョーカーになった、1人の“人間”の話と聞いていたので、見に行ってきました。 ※ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください 内容は、ジョーカーがジョーカーになっていくまでの過程の話。 【印象に残った点】 1. 今さらながら、ジョーカー= Joker(ジョークを言う人)ということに気づいた。 映画を見る前は、ジョーカーを名前としてしか、捉えていなかったので、アーサーがテレビ出演前に自分のことを本名ではなく、「Joker」という名前で紹介して欲しいと言ったところで、改めてその名前の持つ意味を認識した。 当たり前なんやけど、「Joker」=「ジョークを言う人」なんやなあとしみじみ... 2. アーサーと周囲の人とのズレ アーサーが笑うと、周囲の人が「何で笑ってるの?」と言うシーンが何回かありましたが、私はこのシーンが結構印象に残っている。 以下2点考えた。 1) 周囲の人はアーサーの笑う理由がわからないから困惑するのではないか このアーサーが笑える場面でないのに、笑ってしまう状態について、映画内で特には言及はされていないが、過去のトラウマから来る症状なのか、防衛本能としてわざとやっているのか、トゥレット症候群なのかはわからへんけど、このアーサーが笑う現象によって、周りの人は困惑します。 2) 逆にアーサーはみんなが笑う理由がわからないのではないか 自分が笑われる理由もわからないし、人がコメディアンを見て笑うポイントがわからない。 コメディアンがショーをしていて、周りの人は笑っているのに、笑っていないところでアーサーだけ笑っている。わざとやっているのか、笑ってしまう症状なのか、本当に笑っているのかはわからないが、アーサーがノートに、人が笑うポイントを書き記している内容からして、アーサーは、人が何を面白いと思うのかがわからなかったのではないか。 逆にアーサーが面白いと思って、ギャグにしていることが、周りから見ると「笑えない事実」になっていて...

はなれ瞽女おりん

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はなれ瞽女おりん 監督:篠田正浩 原作:水上勉 この映画自体を見たのは、もう1年前くらい。「瞽女さん」に興味があったので、見た作品。 あらすじ 生まれつき目の見えないおりん(岩下志麻)が瞽女として生き、そして死んでいく話。男と関係を持った瞽女は「はなれ瞽女」として瞽女のコミュニティから出ていかなければならない。「はなれ瞽女」になったおりんと一緒に旅をすることになった鶴川(原田芳雄)との純愛の話でもある。 とにかくおりん演じる岩下志麻さんが美しすぎる。 岩下志麻さんと言えば、『極道の妻たち』の印象が強かったのだが、印象が変わった。 あと、原田芳雄のかっこよさは言わずもがな。 おりんが辛くとも、前に進んでいく姿がとても印象的だった。 映画の風景が大変美しく、おりんも美しく、厳しい人生が描かれる中、自然はただただ美しく、そこもよかった。 ちょっと予告編見返してみたけど、感情がかき乱されそうになった。 瞽女さんの生き方当時の時代背景などを映像で見て想像することしかできないけれど、それでも強く生きる瞽女さんたちの姿に心を打たれた。 私の恩師の姜信子さん行っている「声」に関するイベントで、説教祭文や瞽女唄、パンソリ、浪曲を聞いたことがあるので、私自身、「声」から伝わる表現・娯楽に興味がある。 もっと知りたい。 そういった意味ではこの『はなれ瞽女おりん』映画とはいえ、当時の時代を映す民俗学的資料にも少しはなりそうな気がする。岩下志麻さんのインタビューを少し読みましたが、ロケハンだけで三年半、テレビや電線のない場所を探して撮影が行われたそうです。 映像を見るだけでもすごく楽しめるし、俳優陣の演技も素晴らしいですし、私の中の邦画の好きな作品の一つになりました。 痛いシーン、悲しいシーン、心かき乱されるシーンもあり、気軽には見られない作品かもしれませんが、ちょうオススメです。

忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅

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『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』 著者:岡村淳 (港の人,2013年) 私が岡村淳監督と出会ったのは、「ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌」の映画を見たことから始まります。東京に引っ越してきたばかりで、まだ部屋の片付けもままならないまま、でも何か映画を見に行きたい、と選んで日程の都合もよかったのがこの映画でした。 上映前に岡村監督からの挨拶があり、映画についての話を聞くことができました。映画を作った監督に実際にお目にかかるという経験がほとんどなかった私は、映画を作った監督の生の声が聞けたことが本当に嬉しく、映画自身も“生きた”作品に感じました。 岡村監督の映画を見て、ブラジルに渡った移民の話、また岡村監督自身も移民となりブラジルに渡り映像記録作家として、作品を撮り続けていらっしゃると知り、ギアナ高地の伝言の映画を見た後に、この『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』の本をすぐに購入しました。 少しずつ読み進め、その読んでいる間にも岡村監督作品『アマゾンの読経』が上映されると知ると、横浜まで駆けつけるなど、もうすっかり岡村監督の描くドキュメンタリーの虜になっていました。 前置きが長くなりましたが、先日この本を読み終わったので、自分が思ったことや、考えたことなどをここに記録しておきたいと思います。 まず、ギアナ高地の映画を見終わったときに、「岡村監督はなぜ、ブラジルに渡った日本人移民に興味を持ったんだろう?」と疑問に思いました。その経緯が本書には書かれてありました。岡村監督がどのようにして、ひとりで全て(制作・構成・撮影・編集・報告)をこなす記録映像作家になったのか、それまでの歩みが記されていました。 岡村監督の映画を最初に見てから本を読んだので感じるのかもしれませんが、本を読んでいるのに、ドキュメンタリー映像を見ている感覚になりました。岡村監督の声で、文章は再生され、映像はないのですが、目の前に景色を想像しました。そして、本書の中に書かれている人々のドキュメンタリー作品も是非見てみたいと強く思いました。 本書は書籍の体をとっておりながら、7つの物語が入った1本のドキュメンタリー映画を見たようでした。それぞれの移民の方々の一つ一つのストーリーに岡村監督の情熱が込められていて、読んで...

アマゾンの読経

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アマゾンの読経  監督:岡村淳 2004制作 2006年改訂 ブラジル/日本 1986年9月、一人の日本人旅行者がアマゾン奥地で失踪した。 その人の名は藤川辰雄、肩書きは伊豆大島富士見観音堂守。 以前は日本海外移住家族会連合会の事務局長として、中南米の移住者の援護を唱え続けた人だ。 藤川はアマゾンで亡くなった日本移民たちの無縁仏の供養をする巡礼の旅の途中で、行方不明となった。 現地当局は、藤川はアマゾンの支流で水浴中に溺れて猛魚に食べつくされたものと判断して、捜索を打ち切った。 折りしも岡村は日本からテレビドキュメンタリー制作のためにブラジルに派遣され、アマゾン各地の取材中だった。 後年、自らブラジル移民となってからこの事件を知った岡村は、藤川が最後に残したメモを頼りに関係者を訪ねる決意をする。 岡村は日本と南米を何度も往復しながら、藤川の謎の失踪の真相と、各地に埋もれていた移民秘史を発掘していく。( 岡村淳のオフレコ日記 より引用) --------------------------------- 5時間以上にもわたるこの超大作を見てきた。 見終わっていろいろ考えたんやが、印象に残ったのは、岡村監督が藤川さんの周りの人々に細かくインタビューすることで、実際はいない(亡くなった)藤川さんの人物像が周りの人々によってあぶり出されていくところが面白かった。 人それぞれの見方によって三者三様の藤川さんがいて、藤川さんが生命保険を妻に残すために死んだという意見や、生命保険の話は聞いたことがないという意見や、様々な憶測や噂が飛び交っていたり、真実はどうなのかわからない部分もある。 これは私個人の意見なのだが、藤川さんに対して、私は勝手だなあと思った。晩年、胃潰瘍に苦しみ、食べ物も食べることができず大変苦しまれたそうだが、肉体の苦しみから解放されたかったのではないかと思った。日本人の移民のために全精力を尽くし、日本人移民の無縁仏に心を痛められ、その供養に身を捧げられた...といえば聞こえはいいが、実際は、どうだったのか...自分自身も自分の死ぬ姿を誰にも見られることなく、アマゾンの川の中で、日本人移民の方々の魂と同化したかったのではないか、即身仏じゃないけど、藤川さんの中では、自分の死に方のエピソードがずっと前から決まっていて、そ...

ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌

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ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌 監督:岡村淳 2005 ブラジル/日本 ブラジル移民の植物学者・橋本梧郎先生がギアナ高地の秘境、テーブルマウンテンの山頂のテプイ(「神々の家」という意味)で植物観察を行うまでの旅の記録。 梧郎先生は当時満92歳。92歳という高齢にも関わらず、行った先では真っ先に植物観察を行う姿がすごく印象的だった。ギアナ高地は南米ベネズエラの奥地。荒れた道やスコールもあり、そこまで行くだけでも、大変な道のりだと映像を見ていて思った。 好きなことをただひたすらやり抜く。日本からブラジルに移民として渡り、大変な苦労もあっただろう中、植物の研究に情熱を注いでこられた梧郎先生。植物を観察するために歩き回る姿は、すごく生き生きして力強かった。足が悪いなんて思えなかった。 私は、映画が好きで、いろいろなジャンルの映画が好きです。 ドキュメンタリー映画もそのうちの一つなのだが、ドキュメンタリー映画の何が好きかというと、その映像が“本物”だということ好きなのである。生きた映像をスクリーンを通して見ることができるから好きなのである。 梧郎先生のことはこの映画を見て初めて知った。映像は、梧郎先生がギアナ高地へ旅へ行ったシーンが大半で、梧郎先生のお供として撮影した岡村淳監督と、梧郎先生の付き合いの長い女性の方2名。映画見たのは、その人々の人生のほんの数時間なんだけど、それぞれの人がブラジルに渡ってきて、(もしくは日系2世、3世で)そういう日系人社会の歴史を歩まれてきたのだなあと思うと、その人々の今までの人生の歴史に興味が沸いた。岡村監督がどのような経緯で日本人移民を映像記録し始められたのかすごく興味を持ったので、監督の著書『忘れられない日本人移民』を映画を見た後にすぐに購入。これから読む。 私は日本人だが、私のパートナーが日系ブラジル人の3世なので、そういったブラジルへ移民した人々は、他人事ではなく、自分にも関わりのあることである。パートナーの話を聞くだけで、移民した人々の生活の大変さ、日本とブラジルの間で揺らぐアイデンティティ、肉体的にも精神的にも大変な苦労を乗り越えられてきたと思う。 梧郎先生の今回の映画はそういったことが語られているわけではないのだが、私は、映画に登場した方々一人一人の生き方にすごく興味を持った。こういうこ...

6才のボクが、大人になるまで。

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6才のボクが、大人になるまで。 (Boyhood) 監督:リチャード・リンクレイター 2014 アメリカ 主人公のメイソンの6才から18才になるまでの、12年間を追った家族の話。キャストは12年間同じメンバーで撮り続けたという異例の超大作。 結構、期待していた本作。期待はしていただけに、なんていうか、思っていたほど手応えはなかった。あくまでも、これはこの家庭の話で、その中で、人生いろいろあるよね、という普遍さを描いていて、見ている分には、ふーん、という感じで終わった。 見ていて一番思ったことは、やはり、子どもは親に振り回される存在だということ。また、親も子どもを振り回せざるを得ないということ。 どうしても家族モノの映画を見ると、自分の家族と昔のことを比べてしまう。なんでこんな家族に自分は生まれたんや、と昔は思っていたけど、年月が経ってみると、親も人間だし、そうするしかなかったんだな、と理解できるようにはなってきたけど、でも、子ども時代は結構辛かったなと思う。 この映画の母親は、息子のメイソンが18才になって出て行く日に、自分の人生を振り返り、その短さにはっとし、泣き出してしまう。 このシーンを見て自分は、毎日を楽しく、自分の好きなように生きたいと思った。自分が子どもを持つことが今後あるかはわからないが、自分を犠牲にしてまで、子どものため、家族のため、と生きていると、結局最後に自分は何だったんだ、と思う人生になってしまうのではないか。 家族であろうと恋人であろうと、一人一人が幸せな気持ちでいられるような関係づくりが必要だと思う。子どもは好きでその家族に入るわけじゃないから、理不尽な思いもいっぱいするし、でもそれは仕方ないことなんやけど、理不尽な思いをした自分としては、そういう思いを人にはさせずに生きていきたい。 この映画を見ていても思ったのだけど、一人立ちできる年齢になったら親や家族から一度離れてみる経験をするのがいいと思う。これをすることで、自分や家族を俯瞰できるようになる。 自分も今、初めて一人暮らしをして、家族のありがたさもわかりつつ、でも一人で生きていく自由さや開放感を味わっている。自分は親とは少し距離を置いているほうがいい関係を築けることがわかったので、これからも離れて生活するとは思うけど、そういうのもいろいろやってみないとわからない。 人生は長いよう...

福福荘の福ちゃん

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福福荘の福ちゃん 監督:藤田容介 2014 日本  森三中の大島さんが男性役の主人公(福ちゃん)で出てるみたいなので、どんな役なのかなと興味を持ったので見てみた。 すごく独特の雰囲気を持つ映画だった。 福ちゃんがすごくいい人なんやけど、纏うオーラがダークサイドで、どこか影があって、ジャケットにあるような楽しい雰囲気の映画では全然なかった。 登場人物がみんな個性的で、そんな個性的な人々を受け入れ包み込むようなあたたかさが福ちゃんにはあるんやけど、福ちゃん自身には影があって、どこか見ていて寂しくなった。福ちゃんにも幸せになってほしい。 人と人との出会いで人生が変わるのを感じる作品。 ほなほな

フランシス・ハ

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フランシス・ハ (FRANCES HA) 監督:ノア・バームバック 2014 アメリカ ノア・バームバック監督の『イカとクジラ』という映画が割と好きだったので、気になっていたこちらの映画も見た。 印象は、ヌーヴェルバーグの時期の映画の雰囲気を持つ現代映画。すごくヌーヴェルヴァーグなのに、iPhoneが出てきたり、Macのパソコンが出て来たりして今を感じさせる。 主人公はタイトルのにもなっているフランシスという女性。フランシス・ハのハの意味は最後にわかります。 フランシスはダンサーを目指しているが、実習生のままなかなか舞台にも立てず、一番仲がいいと思っていた親友も結婚して遠くに行ってしまう。 自分の将来に不安を感じつつも、旅に出たり、新しいルームメイトと生活したり、自分の思う道をフランシスは歩んでいく。 フランシスが最初のほうで街の中を走っているシーンにデヴィッド・ボウイのモダン・ラブが使われていて、すごくレオス・カラックス監督の『汚れた血』を思い出したので、オマージュなんだなと思った。 ところどころヌーヴェルバーグっぽさを出しているのも監督が好きだったのかなと感じた。ある人の日常をありのままに人間を“リアル”に描く手法はベルイマン監督に似ている。(これは『イカとクジラ』のときも感じた。) 好きだったところは、生きて行く上で、どんなことがあっても、フランシスがフランシスさを失わず、自分は自分として生きて行くところに、強く、強くいいなと思った。 この映画で、フランシスはルームメイトに何度も、フランシスの行動(言動)に対して“非モテ(Undateble)”と言われる。フランシス自体も自分のことをundatebleと言っている。しかし、本人自身はそんなことお構いなしに、自分の好きなように生きているのである。こういうフランシスがすごく好きになった。 どんな生き方をしようとフランシスにはフランシスの魅力がある。自分にとって楽しい人生を過ごしたらいいやん、というメッセージを私は受け取った。 勇気付けられる一本。 ほなね

アメリカン・スナイパー

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アメリカン・スナイパー (American Sniper) 監督:クリント・イーストウッド 2014  アメリカ 映画を見て、戦争していいことなんか何もないと思った。 主人公のクリス・カイルは、戦場で生きるか死ぬかをその肌で直に感じ、派遣が終われば、妻と子のいる家庭に戻る。家に戻っても、心は戦場にあって、抜け殻のように見えた。 妻は家に心も帰ってきて、と言うが、自分の仲間を殺した宿敵の凄腕スナイパーのムスタファを討つまでは帰りたくない、そんな意思をカイルから感じた。 次々と人を撃ち“伝説”と呼ばれたカイルだが、本当に彼は英雄なのか。仲間や国を救うためとはいえ、人の命を奪う行為というのは、自分の心や、周りに関わる人々にも影響する。 結局、結婚して子どももいるものの、カイルは家庭のことと全然関わっていないと思った。“優しい父親”とキャッチコピーに書いてあったけど、カイルは優しい父親なんか??と疑問に思った。 確かに戦場でスナイパーとして、人を殺しまくり、自分もいつ死ぬかわからない、仲間もどんどん殺されていく、となれば、精神状態は異常になるのは仕方がない。しかし、相手のスナイパーであるムスタファを殺すことは、明らかに、仲間への敵討ちもあったか知らんけど、ライバル心や、討ち取りたい気持ちがあったやろうと思う。国のため、仲間のためとは言いつつ、ムスタファのこと殺したかったやろ? 憎い相手を殺したいと思うのは、誰もが持つことがある感情だと思う。実際それが戦争に発展していくのだと思う。でも、それで人を殺したり、戦争をしたりしても何もいいことないよな。当たり前のことだけど、その戦争が実際に今もなお続いていること、終わらないことへの異常さにみんな気づいているはずなのに、戦争は終わらない。 途中からだんだん、この戦争は何のためにやってるんだろう?とか、なんで子供を殺してるんだろう?とかみんな疑問を抱き出してくるシーンがある。それでも、国のため、仲間を、家族を守るため、と戦いを続ける。そういった疑問を映画があぶり出していることには、共感した。 この映画を好きか嫌いかだったら、あんまり好きじゃなかった。 戦争系の映画はもともとあまり好きじゃないほうだけど、それにしては、最後まで集中して見られた映画だった。だが、クリス・カイルが英雄視されてい...

トゥルーマン・ショー

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トゥルーマン・ショー (THE TRUMAN SHOW) 監督:ピーター・ウィアー  1998年  アメリカ ※ネタバレしていますのでご注意 ================== ジム・キャリー演じる主人公のトゥルーマンは、生まれたときから24時間生活を実況中継、全国放送されている。 現代ならこういうことを自分でやっている人もいる世の中なので、それほどまでに驚きはしなかったが、それはあくまでも自分で好きにやっている場合に言えることである。 トゥルーマンは、何も知らずにショーの主人公を演じさせられているのである。自分の意思とは関係なく。その無自覚なトゥルーマンの生活を、他人の生活を覗き見たい観客は楽しむのである。これは不思議な感覚の映画だなと思った。 他人の生活を見るのは面白い。ああ、こんなふうにこの人は生きてるんだ、とその人の人生のストーリーを見ているこちらは楽しむ。自分とは無縁の“誰か”の生活を覗き込む。覗いたところで自分には何の影響もない。こういうところに、私は少し恐怖を感じた。 自分に関係ないことは、批判しやすいと思う。批判したところで自分には特に何も返ってこないし、影響がないから言いたい放題できる。でも、もし、その人物が自分にとって大切な人だったら、どうだろうか? 映画を見ているうちに、私はトゥルーマンのことがとてもかわいそうに思えてきて、ハラハラしてしまった。一人の人の人生を見世物として消費することに違和感を感じた。それを何も考えずに楽しむ観客に対しても違和感を感じた。しかし、それを考えると、このトゥルーマン・ショーを見ている私自身も、他人のストーリーを覗きたい観客であることに気づく。 トゥルーマン自身が今後幸せになってくれることを望む。自分の人生は自分で選びとってほしい。その権利が誰にでもあるはずだと思うんやけど、なかなかそれがわかってても自分で切り開いていくのは難しい。でも、自分の足で歩んでこそ、生きている実感がするのかもしれない。 私は生きていく上で、もっともっといろいろなものを見たい、とこの映画を見て思った。 ほなほな 【ポイント10倍】トゥルーマン・ショー (本編103分)[PBH-111103]【発売日】...

叫びとささやき

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(注意:作品はこの絵のようにほんわかしてないです。が、この作品の唯一のほんわかシーンがここです。すごく綺麗で素敵なシーンです。) 叫びとささやき(VISKINGAR OCH ROP) 監督:イングマール・ベルイマン  1972年  スウェーデン ついに、ついに、長年見たかったこの作品を見ることができた。 もう、それだけですごく嬉しいのですが、内容もものすごく好きな作品になった。 ※ネタバレあります。 見終わって、病気になっている人でも健康な人よりも幸せなこともあるし、結婚してなくても結婚している人よりも幸せなこともあるし、その人から本当は愛されていなくても、自分が愛していることで幸せなこともあるし、血が繋がっている人よりも血の繋がっていない人とのほうが深い繋がりがあることもある、と思った。 まず、この映画の色は赤。 主要な人物は、カーリン、アグネス、マリーアの三姉妹。そして、メイドのアンナ。 次女アグネスは病気で死が近い。両親が亡くなってから大きな屋敷でアンナに世話をしてもらいながら生活している。ただ、最近は体調がよくないので、姉夫婦と妹夫婦も屋敷に来てくれて看病をしてくれているという状態。 ストーリーは、三姉妹とアンナ一人ずつにスポットを当てながら展開していく。顔の大きなアップに赤い光が顔半分に当たりながら映された映像が印象的。あとは、部屋の壁の赤い装飾、ワイン、血、など赤をモチーフとしたものが視覚にガンガン刺さってくる。 あとは、タイトルの通り、アグネスが病に苦しみ大きな声で叫ぶ。一人一人にスポットが当たる画面でヒソヒソヒソとささやき声が聞こえる。 結構ショッキングなシーンもあり、冷たいと思われた長女カーリンの狂気に駆られた行動や、三女マリーアのやさしく振舞っているように見せて、アグネスを嫌悪するなどの偽善っぷりが露わになる。 ただ、そんな中、メイドのアンナだけは献身的にアグネスに付き添い、主従関係を越えた愛で繋がっていた。 最後に、まだアンナが体調がよかった頃、三姉妹とアンナとで森の中を歩き、ブランコに乗るシーンがあるんやけど、あのシーンむちゃくちゃ美しかった。 “叫びもささやきもかくして沈黙に帰した” という言葉で...

フランク

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フランク(FRANK) 監督:レナド・エイブラハムソン 2014年 イギリス アイルランド 頭全面を覆うお面のような被り物を被ったフランクという人物がボーカルを務めるバンドにまつわる話。ストーリーは、このバンドに突如加入することになったジョンの視点から描かれていく。 この映画『フランク』は実在するフランク・サイドボトムという人物をモデルに作られているそうです。フランク・サイドボトムは80年代に活躍したイギリスのコメディアンで、音楽もやっていた。そのバンドのキーボードをしていたジョン・ロンスンが脚本に関わり自身の体験をジョンの目線で語っていく。 この『フランク』の映画を私が見ようと思ったのは、フランクがお面をどんなときでも脱がないという情報だけ知っていて、どんな話なのかとすごく興味を持ったからです。なんで脱がないのか、なぜ被ったのか、脱いだらどんな顔なのか、など、お面とフランクの関わりについてものすごく興味を持っていたのですが、実際に映画を見てみるとお面を被っているということよりも、人と人との関係のあり方や、好きなもの(この映画では音楽)や表現したいものについて、どれだけ追求できるか、自分にとって居心地のいい場所とは、みたいな感じの映画だった。 もちろん、最初にフランクが登場して常にあのお面を被っている風景はある種異様な雰囲気があって、なんなんだこの人、という感じに思ったが、次第にこれがフランクだなと違和感がなくなってくる。ジョンはフランクたちに出会い、その前衛的さに感動し、このフランクのバンド「ソロンフォルブス」を自分も含め有名にしたい!(有名になりたい)と思うのですが、バンドのメンバーとはうまく噛みわず、フランクとも噛みわなくなってくる。そもそも噛み合っていたのかも謎だが、ジョンは結構バンドをかき回す。 ジョンは本当に有名になりたくてSNSなどを駆使しまくるんやけど、それとは対照的にバンドのレコーディング風景は独創的で面白かった。 フランクがお面をかぶっていても自由に振る舞えるあのバンドの雰囲気がすごくいいなと思った。ジョンのフランクに対するお面外せという言葉は、実際自分がフランクだったら自分も逃げ出すやろうなあと思った。1番言われたくない言葉かもしれない。お面外したくなかったら外さんでいいし、それは自分で好き...

ガタカ

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ガタカ  (GATTACA) 監督:アンドリュー・ニコル  1997 年 アメリカ 近未来。遺伝子を操作されて生まれてくるのが当たり前な時代。遺伝子操作で生まれた“適正者”と、自然分娩で生まれた“不適正者”が存在する社会。 主人公のヴィンセントは“不適正者”として生まれ、“適正者”として生まれた弟や家族からも差別を受けて育つ。そんなヴィンセントが昔から夢だった宇宙へ行くということを成し遂げるために「ガタカ」という名前の宇宙局で働く話。 以下ネタバレしています。 ________________________ すごくいいよとお勧めしてもらったので見ました。自分はSF系や宇宙系の映画はリアリティを感じられなくてあまり好きじゃないのですが、この映画は、宇宙へ行くことを目的にはしているものの、話の内容は人間の内面の話で、そこがすごく面白かった。 ヴィンセントは“不適正者”だったからこそ、ここまで闘うことができたのではないかと思った。遺伝子で自分の可能性を決められたくない、そんな思いがひしひしと伝わってきた。生まれた時からお前は◯◯だからこれはできない、という世間の(社会の)考えを跳ねのけた、ヴィンセントの精神力はすごいと思った。遺伝子の優劣で、肉体の優劣はあれど、精神力は遺伝子の壁を越えることができた。それは、今まで差別されて“不適正者”として育ったヴィンセントだからこそ、できたのだろう。 しかし、このヴィンセントがここまで行けたのも、一人だけの力ではない。ヴィンセントに血液や遺伝情報を与えた人物、ジェロームなしでは、ヴィンセントはここまで来られなかった。ジェロームはとても優秀な遺伝子を持ちながらも、競泳で世界で2番にしかなれなかったと嘆いた挙句、自殺未遂。そして下半身不随になる。ジェロームはヴィンセントと対照的に描かれているが、この二人が協力して、ヴィンセントの夢のために共同生活しているところがいい。 ジェロームはヴィンセントと生活する中で、ヴィンセントの執念に心を動かされたんだろうなと思った。それだけに、最後のジェロームの行動はすごく悲しかった。生きていくのはやっぱりつらいやろけどさ、死なんでいいやん。“適正者”として生まれたが、1位になれず、周囲の期待に応えるために自分のやりたいこ...

母なる証明

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母なる証明( 마더 ) 監督:ポン・ジュノ  2009年  韓国 母(キム・ヘジャ)と息子(ウォンビン)の話。 息子のトジュンは知的障害があり、母から溺愛されている。トジュンは大人であるが、母と一緒に横に並んで眠ったり、母の庇護下で生活している。 ある日、トジュンが女子高生殺害の容疑者として警察に連れて行かれる。トジュンは記憶障害もあり、その事件のあった夜のことをあまり覚えてないが、女子高生を殺したことは否定している。 母はトジュンの冤罪を晴らすために、1人事件解決のために犯人探しを始める。 最近、母と子の話の映画をよく見るんやけど、この映画も壮絶だった。 母はトジュンのことが何歳になってもかわいくて仕方がなくて、トジュンもそんな母のことを鬱陶しいなと思いつつも、いざというときは母のことを頼りにしていて共依存関係にある。二人は二人だけの世界の中で暮らしているように見えた。 母は、普段は漢方薬を売って生活しているが、闇で鍼灸の仕事もしており、近所の人にやったりしている。母曰く、嫌なことを忘れるツボが太ももの辺りにあり、そこを針で刺すと嫌なことも全て忘れて幸せになれるという。トジュンは事件のことを思い出そうと奮起するがなかなか思い出せない。記憶を思い出すために、いつもやっている頭のツボを押す動作をし、思い出したものは、過去の母との忌まわしい出来事だった。トジュンはその事実を母に突きつける。その時母はかつてないほどに狼狽する。そして、あの記憶を忘れるために、記憶を消すツボに針を刺さないと!とトジュンに対して叫ぶ。 母はトジュンを育てるために必死で生きてきた。母はトジュンに知的障害があるが故に、トジュンのことを人一倍心配し、またその障害があるが故の無垢さなどが母には大変愛おしく映っているように見えた。 母の狂気すら感じさせる息子への溺愛っぷりも怖いが、私は、トジュンのことも怖かった。トジュンは知的障害があるが、果たしてそれがどれほどのものなのか、どこまでわかっていないのか、それが見ていてわからないところがすごく怖かった。もし、トジュンは、母に対する復讐(自分が重すぎる愛を注がれていることへの報復)のために、わざと、最後のあの行動(母の針を入れている箱を母に渡す)をしたのだとしたら、ゾッと...

僕らのミライへ逆回転

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僕らのミライへ逆回転(BE KIND REWIND) 監督:ミシェル・ゴンドリー  2008年  アメリカ アメリカ、ニュージャージー州のパセーイクという町の一件のレンタルビデオ屋の話。店名は“BE KIND REWIND”(次の方のためにも巻き戻して返却してね) 市から新しい建物を建てるために、古いこの店は立ち退きを迫られます。立ち退かないためには、屋根を直す多額の費用が必要。しかし、現代はDVDが主流でアクションやコメディなどわかりやすいド派手な大作映画ばかりがレンタルされている。店長のフィッシャー(ダニー・グローヴァー)は頭を抱えてしまいます。 フィッシャーは打開策を考えるべく、ライバル店へ視察へ。店を空ける間マイク(モス・デフ)に店を任せる。ところが、マイクの友達のジェリー(ジャック・ブラック)がなんやかんやあって電磁波を帯びた体で店内に入ると、その影響でビデオの内容がすべて消えてしまった。お客さんが借りにきたが、ビデオの中身がない。マイクは客が見たい映画をリメイクすることを思いつく。マイクとジェリーは、ビデオカメラを片手に手作りの“スウェード”(マイクたちのいうスウェーデン製)の映画を撮っていくのだった...。 すごく面白い作品でした。最初、コメディとして楽しむために見ていたのですが、マイクとジェリーが始めたチープな映画作りが、だんだん、パセーイクの町全体(子どもから大人まで)を巻き込んだ一大プロジェクトとして映画が作られていくことに、いつしか町の人と同じ気持ちで映画にのめり込んで見ていました。 メイキング映像を見てみると、実際にパセーイクに住む住民たちが映画に出演していたそうで、驚きと、映画の力を感じてすごいなと思いました。映画に出演しているパセーイクの人々はみんな生き生きしていて、輝いていました。監督は町も物語の一部にしたかったと言っており、実際にそうなった映画なのだけれど、住民と俳優と監督とスタッフと一丸となってこのパセーイクの町の映画を撮ったっていうのが本当にすごいことだと思いました。 そして、映画の中で劇中劇として描かれるパセーイクで生まれたという伝説があるファッツ・ウォーラーという1920年~30年代に活躍したジャズ・ピアニストの存在もとても大きいものだと感じました...

孤独な天使たち

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孤独な天使たち(IO E TE) 監督:ベルナルド・ベルトルッチ  2012年  イタリア 14歳の少年ロレンツォは過保護気味の母親にうんざりしつつ、学校のスキーウィークに行くのも嫌で、一週間分の食料を買い込み、地下室に籠る。埃まみれの地下室だが、冷蔵庫やトイレやベッドなど生活に必要なものは一通りあり、アリの巣をペットショップで買い、アリを眺めつつ、読書したりパソコンしたり、悠々自適の生活を満喫していた。 そんな生活の二日目に、異母姉のオリヴィア(ジャンキー)が突然やってきて、振り回されつつ、共同生活が始まる。 オリヴィアの登場シーンが結構好きです。最初誰やねん、と思ってたんですが、黒いニット帽を外すと金髪の長髪がふわっと溢れ出る感じに息を飲んだ。あと、食べ物を二人で自宅に忍び込んで調達しにいくところなど、ドキドキするんやけど、冒険してるみたいなワクワク感があって、楽しそうやなと思いました。 一番よかったシーンは“Space Oddity”の曲に合わせて二人がダンスするシーンでした。字幕で出ていた歌詞は、もともとの歌詞と違って、この二人を表している歌詞でそれもよかった。二人がお互いに約束を交わし、そして朝を迎えるところがすごくよかったです。それぞれに孤独を抱えたもの同士、そして、姉弟という絆もあって打ち解けた二人はまた現実に目を向け、また外の世界へ歩んで行こうという気持ちになる。その気持ちが見ている私にも伝わってきて、自分も頑張らななあという気持ちになった。生きてたらいろんなことがあるけど、隠れないで自分は自分を貫いて行こうと思いました。 ほなね

ブラック・スネーク・モーン

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ブラック・スネーク・モーン(BLACK SNAKE MOAN) 監督:クレイグ・ブリュワー  2006年  アメリカ サミュエル・L・ジャクソンが道端で失神していたニンフォマニアのクリスティーナ・リッチを拾って連れて帰り、鎖に繋いで荒療治をする話。 ジャケットからSM監禁物かなと思ったんですが、最終的に感動のヒューマンドラマでした。レイ(クリスティーナ・リッチ)は幼少期のトラウマからニンフォマニアになってしまい、セックスがしたくてたまらなくて、色んな男とセックスしまくっているんですが、ラザラス(サミュエル・L・ジャクソン)がそんなレイのことを不憫に思い、少々手荒だが治してやろうと奮闘します。ラザラスはブルースの歌手で、ブルースによってクリスティーナの心も癒えていきます。一番盛り上がるライブのシーンでのマザフアッカはやはりよかったです。 タイトルの“ブラック・スネーク・モーン”とは、“黒い蛇のうめき”のこと。ラザラスの心の中にあるどうしようもない叫びをそう表現したみたいです。歌の歌詞として登場します。 レイには恋人のロニー(ジャスティン・ティンバーレイク)がいるんですが、このロニーも問題を抱えていて、軍隊に入ったはいいが、拳銃が撃てなくて早々に除隊されて帰って来ます。そんなロニーのことを助けてあげられるのは、レイだけで、二人はお互いに弱い部分がありつつも一緒に生きていこうとします。 それをラザラスは応援しつつ、見守ります。ラザラス自身、妻を弟に寝取られ、一人身になり孤独な暮らしをしていました。だから、レイと関わることで、ラザラス自身、自分が妻にできなかったことや、寂しさを埋めているのかもしれないと思いました。レイとラザラスの交流はお互いにとってよい方向へ進んだのは、レイとラザラス双方の努力の結果だと思います。 レイがこれからの人生をロニーと二人でうまくやっていけるかはわからないけれど、ラザラスと鎖で繋がれた家での生活を思い出せば、困難は乗り越えられると思う。 そんなにエロくないけど、クリスティーナ・リッチのおっぱいは見れるので得した気分になります。 あと、サミュエルのマザフアッカは最高です。レイとラザラスが心を通わせていくシーンが大変よかったです。 ほな

ゴーストワールド

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ゴーストワールド(GHOST WORLD) 監督:テリー・ツワイゴフ  2001年  アメリカ 高校を卒業して、何をするでもなく人と違う生き方を選んでフラフラする女の子、イーニド(ソーラ・バーチ)の中二病的な特有の痛々しさや孤独、しかし、自分のことがよくわからなくて悩んでもやもやしていたモラトリアム期間にブシェミといろいろあって…という話。友人のレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)やレコードオタクのシーモア(スティーヴ・ブシェミ)など魅力溢れる人物が脇を固めている。もともとはアメリカの人気コミックだったようで、映画の色使いなどとてもインパクトがあり印象に残っています。 『ファーゴ』に続き、スティーヴ・ブシェミが素敵な映画として思い浮かんだのが今作。そこかって感じですが、ブシェミの魅力は見ればみるほどだと思うんですがどうですか。 十代の痛々しさを今になったら冷静に見れるのですが、当時は自分もこんな感じで冷めた目線で厭世的に生きてたなあというのを思い出した。 町山智浩さんの映画ムダ話という音声ファイルの 『第七の封印』の話 を聞かせていただいたのですが、『第七の封印』の主人公アントニウスは教会で神父に“自分は社会に無関心あった。まるでゴーストワールドに住んでいるような感覚”と話すんですね。こういう気持ちになることって誰にでもあると思う。だから、共感できるし、イーニドのことを痛々しいなと思う反面、そういう気持ちもわかるところもあるから余計に心に響くんやと思います。この一見関係なさそうな二作の関連性を教えてもらい、新たな発見でした。 あと、印象に残ってるのはオープニングの曲です。頭にこびりついて離れなくなります。そして、イーニドのように踊りたくなる曲です。あと、イーニドとレベッカの服がかわいい。ブシェミがなんかかっこよく見えてくる。(気がする) なんかうまく書けないけど、どこにも属せない“普通”から外れた生き方をしているイーニドの孤独と、これからの生き方についてもやもやしながらも、でも、生きていく話。仲良かった友達とは別の道を歩むかもしれないし、変なおっさんと関わるかもしれないし、人生何が起こるかわからないけど、もやもやしながらも生きていく、そして、最後は私はいいようにとってるんですが、イーニド...

ファーゴ

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ファーゴ(FARGO) 監督:ジョエル・コーエン  1996年  アメリカ アメリカのファーゴという町の周辺で起こる連続殺人事件の話。 もともとは、ある1人の男が、借金を返すために、妻を狂言誘拐し、妻の父から身代金を払ってもらい、その金をいただくという算段だった。ところが、その狂言誘拐のために雇った殺し屋二人組が、妻を誘拐途中に関係のない誘拐の目撃者を殺してしまい、事件は泥沼へとはまっていく...。 コーエン兄弟の映画はそんなに見ていないので、どういう特徴のある映画かはまだわからないのだけど、少し前にレビューした『バーバー』に話の展開のしていき方は似ていると思いました。 小さなほころびが、どんどん大きくなっていき、とうとう自分の収集がつかないところまで行ってしまうというところが似ていると思いました。 面白いなと思ったところは、スティーヴ・ブシェミが殺し屋の二人組の1人のなんやけど、劇中で、警察官のマージが犯人を調査して聞き込みなどをすると、聞いた人みんなが、ブシェミの特徴について、変な顔、変な顔って言ってて笑った。 あと、ブシェミの最期もマンガかよ、って思わせるような終わり方で笑った。笑うとこじゃないと思うけど。 ジャケットにもなっていますが、町が真っ白な雪に覆われて何もないところに、死体が転がってるっていうね、美しいのかなんかわからないが美しいみたいなシーンが印象的だった。 中盤から後半にかけてすごいドタバタ劇になるんやけど、それが終わって妊婦の警官マージが、「私たち幸せね」とベットで夫にいうシーンはほのぼのする。あなたたちは幸せだ、と同意した。 人が不幸になっていく作品は少し苦手なのですが、最後まで引きつけられる作品でした。 出てくる人みんなあまり好きになれなかったですが、ブシェミがめっちゃ印象的でした。 ほなね

マミー

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マミー(Mommy) 監督:グザヴィエ・ドラン  2015年  カナダ ※ネタバレしています! 父親を亡くし、母と子が二人で暮らしていく物語。息子のスティーヴはADHDという発達障害を持っており、施設に入っているが、施設では手に負えない状況で、施設から母に引き取ってほしいと連絡が来る。 ここで私が印象に残っているのは、施設の職員の女性が母ダイアンにかける「愛だけでは救えないのよ」という言葉。 見終わってみて、確かに、愛だけでは救われないかもしれないと思いました。愛がいくらあっても、お互いの努力がないとどうしようもないと思うからです。しかし、愛があるからお互い努力しようと思えると思うので、まず、第一に愛ありきではあるとは思いますが...。むしろ、愛なしで誰かと一緒に生活していくのはただの苦痛じゃないかと思います。 ダイアンはスティーヴを引取り、新しく家を借りて二人で生活を始めます。ダイアンはスティーヴのことを愛していて、スティーヴもダイアンのことを愛しています。ですが、いっしょに生活していくとなると、スティーヴの衝動性や一旦キレると手がつけられなく状態が生活を穏やかにしません。スティーヴはそんな自分に対して苛立ちを覚えつつも、母のためならどんなことでもしたい、と思って実際に行動に移したりして、それはそれでまた問題を引き起こしたりして、踏んだり蹴ったりな状況になったりします。 ダイアンはスティーヴのどうしようもなさに、私はこんなに頑張ってるのに、あんたのせいでこうなってるのよ、と怒鳴り散らすときもあります。しかし、最後には、「でも、いいのよ」と言います。 スティーヴがスケボーに乗って腕を広げているシーンがすごく印象に残っています。外のシーンの空や風景がとても綺麗で、生きづらく窮屈な日常からスティーヴの心が解き放たれるような解放感を見ている私も味わいました。 ダイアンは向かいに住むカイラ(教師をしているが現在休職中)と仲良くなる。カイラはスティーヴとも気が合うようで、3人が揃うことでお互いに作用し合って幸福な時間を過ごします。 最後は、保護者に何らかの理由があれば、発達障害の子を法的手続きなしで病院に入れることができる新しい法律の適用のもと、ダイアンはスティーヴを病院に入...