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竜二



竜二
監督:川島透 1983年 日本
脚本・主演:金子正次

ヤクザの幹部の竜二がある日逮捕され、刑務所に入れられる。刑務所から出るときにいった金は、妻であるまり子の両親が竜二と別れる約束で用意してくれたものだった。半ば無理やりの形でまり子と愛娘のあやと引き離された竜二。竜二はヤクザから足を洗い家族で生活したいと思うようになる。結構すんなりとヤクザからカタギになり、別れていた妻のまり子と愛娘あやと一緒につつましやかな生活を送る竜二だったが、どこか悶々とした毎日を過ごす。酒屋で働くも給与は安く、「野菜が高いわねぇ…」というまり子のつぶやきにも、竜二は「うるせぇ!」と怒鳴ってしまう。仕事からの帰り道、竜二はまり子とあやが肉屋の特売セールに並んでいる姿を目撃する。ショックを受けたように立つ竜二にまり子も気づきお互いの目が合う。竜二は何も言わず、涙を流し、またもと来た道を戻って去っていく。まり子はあやに「またおばあちゃんの家に帰ろうか?」と言う。「また全日空に乗れるの?」と喜ぶあや。エンドロールとともにヤクザに戻った竜二が夜の街を闊歩する姿で終わる。


ざっと言うとこういう話だったんですが、見終わってまず思ったことは、これでいいの?という疑問だった。竜二はまり子とあやとの生活がしたかったのに、また離れることになる。妻子に貧しい思いをさせたくない、という気持ちがあったのはわかるが、ほんとにそれでいいの???

ヤクザに戻ると金が入るという面では今よりも豊かになるかもしれないが、まり子とあやに会える機会は格段に減るだろう。あやの成長を見ることや、まり子と過ごす時間が減っても金に不自由させないことのほうが大事なのだろうか。それとも、もう妻子と生活するのが面倒くさくなったのか。それだと悲しすぎる…。映画から察するに、竜二はヤクザであったほうが、金も地位もあるし、なんせ自分が生き生きと生きられる、そういうふうに見てとれた。

実際に、竜二はヤクザの道を選んだ=金に不自由しない+自分の生きやすい道を選んだ、と私は考えた。竜二としては、金に困らずに、また舎弟の面倒も見てやることもでき、ある一定の地位もあり、竜二らしい生き方ができる。

ここで私にはある疑問が浮かんだ。

“ヤクザもんと一般人(非ヤクザもん)では幸せになれないのか?”

これに関して、私が一つ思いついたのは、結局、ヤクザもんとヤクザもんじゃない人が一緒に生活(結婚)できない理由は、世間体があるからではないか、ということである。

極論になるけど、お互いの覚悟の問題ではないか。全て(親・親戚・世間体など)を捨てて二人が一緒になる覚悟が二人にはなかった。誰かと一緒に生きようと思うと、やはり、お互いに協力が必要である。竜二とまり子はお互いに愛し合っているが、そこまでの覚悟はできなかった。(まり子はすでに両親に反対もされている)
仮に、一緒に暮らしていても、ヤクザだから、殺されるリスクもある。それでも一緒にいたいかどうか。
それが無理なら、一度竜二がやってみたように、しんどくてもカタギとして、地道につつましやかに生きていくか。どちらかの選択になる。

自分の好きな人を見つけてお互いが愛し合っていても、一緒に生き抜いていくのはどんな世界であっても大変なことだと改めてこの映画を見て思った。

私の父もそうだったと思うけど、この作品を見て高い評価をする人は、カタギのときの竜二のように、妻と子どものために、少ない給料でも我慢して、自分を殺して働いて、そういう苦労を知っていて、竜二の気持ちにものすごく共感したんだと思う。一方で、ヤクザもんのようなアウトローにどこか憧れを抱いていたのかもしれない。ヤクザもんに返り咲いた竜二を見て、自分にはできないが、どこか羨ましいと思うところもあったのかもしれない。

でも、でも、でも!最後に、そんだけ愛している妻や子どもを置いて、ヤクザの世界に戻ってしまう竜二に、あまり自分は納得はできなかった。

おい、ほんとにそれでいいの??



ほな、今日はこのへんで。


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