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Showing posts from July, 2015

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母なる証明

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母なる証明( 마더 ) 監督:ポン・ジュノ  2009年  韓国 母(キム・ヘジャ)と息子(ウォンビン)の話。 息子のトジュンは知的障害があり、母から溺愛されている。トジュンは大人であるが、母と一緒に横に並んで眠ったり、母の庇護下で生活している。 ある日、トジュンが女子高生殺害の容疑者として警察に連れて行かれる。トジュンは記憶障害もあり、その事件のあった夜のことをあまり覚えてないが、女子高生を殺したことは否定している。 母はトジュンの冤罪を晴らすために、1人事件解決のために犯人探しを始める。 最近、母と子の話の映画をよく見るんやけど、この映画も壮絶だった。 母はトジュンのことが何歳になってもかわいくて仕方がなくて、トジュンもそんな母のことを鬱陶しいなと思いつつも、いざというときは母のことを頼りにしていて共依存関係にある。二人は二人だけの世界の中で暮らしているように見えた。 母は、普段は漢方薬を売って生活しているが、闇で鍼灸の仕事もしており、近所の人にやったりしている。母曰く、嫌なことを忘れるツボが太ももの辺りにあり、そこを針で刺すと嫌なことも全て忘れて幸せになれるという。トジュンは事件のことを思い出そうと奮起するがなかなか思い出せない。記憶を思い出すために、いつもやっている頭のツボを押す動作をし、思い出したものは、過去の母との忌まわしい出来事だった。トジュンはその事実を母に突きつける。その時母はかつてないほどに狼狽する。そして、あの記憶を忘れるために、記憶を消すツボに針を刺さないと!とトジュンに対して叫ぶ。 母はトジュンを育てるために必死で生きてきた。母はトジュンに知的障害があるが故に、トジュンのことを人一倍心配し、またその障害があるが故の無垢さなどが母には大変愛おしく映っているように見えた。 母の狂気すら感じさせる息子への溺愛っぷりも怖いが、私は、トジュンのことも怖かった。トジュンは知的障害があるが、果たしてそれがどれほどのものなのか、どこまでわかっていないのか、それが見ていてわからないところがすごく怖かった。もし、トジュンは、母に対する復讐(自分が重すぎる愛を注がれていることへの報復)のために、わざと、最後のあの行動(母の針を入れている箱を母に渡す)をしたのだとしたら、ゾッとするなと思った。二

女装して、一年間暮らしてみました。

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『女装して、一年間暮らしてみました。』 クリスチャン・ザイデル著  長谷川圭訳  サンマーク出版  2015年 ふらっと久々に立ち寄ったブックファーストで、表紙を見た瞬間読みたい!と思って手に取った。 著者のクリスチャン・ザイデル本人が一年間にわたり、女装をして過ごすという実験をした体験記。きっかけは、ストッキングって寒い日にほどよく体を温めてくれるんじゃないの?とクリスチャンが思って、思い切って買うところから始まり、クリスチャンがどんどん美しい女性の見た目になっていきます。 この話の興味深いところは、クリスチャンはLGBT的な感じで女性になりたい、性別を女性に変えたいというのではなく、あくまでも自身の性自認は男性のままで、男性の社会的な役割から解放される気持ちを表現(体現)しているところです。 以下、考えたこと ①好きな服装をして過ごすという感覚はコスプレに似ている? 今の自分の何もかもを忘れて(考えずに)好きにキャラクターの衣装を着て、そのゲームなり、アニメなりの世界に入るというのは、一種の自分の性別や、社会的な役割からの解放のような気がする。 コスプレでは、女性が男装することは普通のことで珍しくない。男性が女装することもある。ただし、男性が女装することについて、禁止しているイベントもある。(何回か見かけたことがある。)これは、なんでなんやろ? 知恵袋的なものを読んでみたら、イベント主催側からの要請と、参加者側からの要請と、会場が一般人の目に晒される場所だと、一般人からの要請があったり、いろいろみたいやけど、要は、 ・男性が女装するのはおかしい→気持ち悪いという嫌悪感から禁止している ・性癖でやってる人と見分けがつかない ・過去に男性レイヤーが女性更衣室に入るなどのトラブルを起こした ・男性レイヤーは女性レイヤーに比べて圧倒的に少ないため、排除しても会場側に影響がない などなど... ここでは、この本のクリスチャン(クリスチアーネ)がいうように、男性が排除されている例だと思う。しかし、それで、女性が権利的に優遇されているのかといえば、そうではなくて、主催側や会場で目に触れるであろう一般人が男性レイヤーの女装を見たくないという理由だったら、女性はただ、その主