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Showing posts from February, 2015

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悪魔のはらわた

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悪魔のはらわた (FLESH FOR FRANKENSTEIN) 監督:ポール・モリセイ 1973年 イタリア/フランス ジャンル:臓物  この映画の名前を思い出そうとするとき、いつも他の映画と混ざり ( 死霊のはらわた、悪魔のいけにえ、悪魔のしたたり、などなど ) なかなか一発で思い出せないんだが、そのストーリーはすぐに思い出せるくらいインパクトが大きい。  ウド・キア演じる男爵は最高の臓器と最高の身体のパーツを使った男女の人造人間を作っている真っ最中。最高の男女のを自分の手で作り上げ、その二人を交尾させ、子供をたくさん生ませ、最強の人類を創造する!と意気込んでいます。  ちなみに、この男爵が臓物フェチの変態なんだけど、それが自然に見えるほど話は全体的にぶっ飛んでいて、穏やかな音楽と中世ヨーロッパみたいな雰囲気とともに淡々と話が進んでいく。途中、内臓にファックして「胆のうに生の息吹を吹き込んだぞ」とか言ってて、見ているこっちは、そうですか ...... 、と、もはやついていけない。  一番印象に残るシーンは、いざ、男女の人造人間が完成して、交尾させよう!となり、人造人間の女に男爵が「キスしろ!」と命令し、人造人間の男にキスさせる。しかし、いっこうに男が勃起しない。「キスしろ!」→キス→勃たず、を 3 回くらい繰り返したところで、これはどういうことじゃあ!と男爵ブチ切れ。男は女性に興味がないゲイだった、っていう下り。 ( ゲイとは明示されないが、私はそう読み取った。 )  わざわざ、絶倫の男の首が必要だからと、売春宿に行って待ち伏せしていたのに、人違いをしてしまっていたのである。ちなみに、本当に狙っていた絶倫男は男爵の妻 ( 姉 ) に気に入られ、屋敷内でヤりまくっていたというサイドストーリーが人造人間を作る男爵の話の裏で平行している。それを子供たちは終始覗き見している。  当時、この映画は 3D で放映されていたらしく、なるほど内臓がバンバン執拗にこちら側に飛び出すショットがあるわけなのである。いちいち、内臓がぶちまけられるので、珍しく邦題の「はらわた」のタイトルにふさわしい、合ってると思った。  女の人造人間がすごく綺麗な方で、内臓に突っ込んでやんなよ、このクソ変態!というツッコミを内心したが、男爵

アクエリアス

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アクエリアス (AQUARIUS) 監督:ミケーレ・ソアヴィ 1986年 イタリア あなたも このステージから逃げられない 頭からスッポリかぶったフクロウのお面、一見何か愛嬌がある……けどその仮面にかくされた狂気の殺人鬼の冷血は、華やいだミュージカルのリハーサルに夢中なヤングたちをたちまち鮮血地獄のエジキにしてしまう、ユニークなこわさ!(VHSジャケットより抜粋) あらすじ ミュージカルの練習中に足を痛めた女優がこっそり病院に行って帰って来るんやけど、その時に、病院に幽閉されていた連続殺人犯も一緒に車に隠れて脱走してきた。殺人犯は舞台で使うフクロウの被り物を被り、次々と役者たちを惨殺していく。  これはビデオで持っていたお気に入りの良質ホラー。  最も印象に残るのは、やはり、このフクロウの被り物を被っている殺人犯が、終盤、殺した死体を全て舞台の上に並べて自分は椅子に座り、膝に猫を乗せBGMをかけ、羽を飛ばす演出をして悦に浸っているシーン。これには、なぜか見ているこちら側もうっとり見つめてしまうような美しさがあった。  このシーンになるまで、かなりテンポよくスピード感もあり、見ていて飽きない。殺し方も様々で、舞台を縦横無尽に殺人犯と追いかけられる役者が走り回る。チェンソーでブーン!(チェンソーだけではなく数々の凶器が駆使されます。)  ホラー映画に出てくる数々の仮面やら被り物をつけてる殺人鬼の中で一番かわいいと思う。  ミケーレ・ソアヴィ監督のことを調べてみた。  ミケーレ監督はダリオ・アルジェントの弟子だということは知っていたが、デモンズシリーズの監督や出演もされていた。あと、『フェノミナ』や『地獄の門』にも!デモンズは最初のデモンズ1は結構好きなのですが、そのあとのシリーズは見られていません。見たいけど見たくないような。『デモンズ’95』で挫折したような…。また機会があったら見よう。しかし、『アクエリアス』は大変良作です。

サプライズ

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サプライズ (YOU’RE NEXT) 監督:アダム・ウィンガード 2011年 アメリカ あらすじ 両親の結婚35周年を祝うために山奥の別荘に家族が集まった。その夜の夕食の席で、窓の外に何かを発見したタリク(長女の彼氏)。あれは何だ?と近寄るとその瞬間、タリクの眉間にボウガンの矢が突き刺さる。突如始まるパニックホラー。 (以下ネタバレしていますので、ご注意!)  これは久々にいいB級スプラッタを見た(褒めてる)。最後のホーム・アローンばりの仕掛けからのラスト→タイトルバック→隣家にずっと流れ続ける音楽でエンドクレジットへ、というテンポのいい流れで爽快な気分になった。  見終わって思ったのだが、邦題の「サプライズ」は自分は全くなかったな、ということ。強いていうなら、途中、隣の家に逃げ込んで、殺されるケリーを殺した後に、足元にケリーの死体、隣に隣人の死体がある中ソファーに座る動物の仮面をかぶった襲撃犯。この光景を見て、これは『アクエリアス』へのオマージュやな!と思ってそこはものすごくテンションが上がった。  家族やそのパートナーたちが次々と動物の仮面を被った人(三人くらいいる)に殺されていくんやけど、なんで殺されるのかが途中まで全然わからない不条理ホラー。しかし、そんな中、次男クリスピアンの彼女のエリンがものすごいサバイバル術を駆使して襲撃犯たちを返り討ちにしていく。  エリンのね、その返り討ちの仕方が半端なかった。襲撃犯の頭をハンマーでもう死んでるやろと思われるのに殴りまくるわ、二階から窓突き破って飛び降りるわ、頭にミキサー押し付けて回すわ、脳天にナイフ突き立てるわで、この女、何?!何?!と圧倒されっぱなしだった。これはもはやサバイバル技術云々の問題ではないのでは…と思った。しかし、そこを考えたらB級映画は楽しめない。最後のほうになると、もう、エリン行け!がんばれ!殺されるな!もっとやれ!みたいな気持ちになる。  結局、三男フィリックスとその彼女、そして次男クリスピアンらが遺産目的で家族の皆殺しを計画して覆面犯たちを雇っていたようで、そのことに関しては何の驚きもなかった。しかし、そこを考えたらB級映画は楽しめない。  最初の、長女のエイミーが「私、走るのが早いから走って助けを呼んでくるわ!」みたいなノリで勢い良く正面ドアからスローモーション

いのちの食べかた

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いのちの食べかた (Our Daily Bread) 監督:ニコラウス・ゲイハルター 2005年 ドイツ/オーストリア あらすじ いつも食べている牛や豚や鳥や魚や野菜などがどう育てられどう殺されどう肉になっていくのかを淡々と描くドキュメンタリー映画。  この映画を見て、自分は他の動物の命を食べているんだということに対して怖いと思った。殺される前に怖がって震える牛。牛は一瞬で殺され血を吸い取られ、内臓が取り出される。内臓が分けられる。当たり前のことなんだけど、いざ目にすると怖かった。でもこういう一連の流れをやってくれる人がいるお陰で肉が食べられるんだと思うと、自分は勝手だなと思った。  しかし、それよりもこの映画を見て思ったことは、牛の雄の精子を人工的に雌の子宮に入れたり、豚の去勢 ? をしたり、牛のお腹から帝王切開で子牛を引きずり出したり、人間がコストを下げて生産性を上げるためにしていることなんだけど、そのやり方に人間ておぞましいなと思った。しかし、私たちは安い肉や安い食べ物を買いたがる。生産者はコストをかけずに大量生産しなくてはならない。”肉”になるまでに、手作業もあるが、ほとんどが機械でオートメーション化されたシステム。それは、自然界の動物がしているような生きるのに必要だから必要な分を食べる、殺す、命をいただくこととは程遠い飽食の時代を表している。そして、その食物が行く末はというと、全てが消費されるわけではなく、賞味期限が過ぎると捨てられる食物の山 …… 。  なんでこんなにも消費社会になってしまったのか。近代化してしまったから仕方ないのかもしれないが、世の中に矛盾を感じずにはいられなかった。そして、人間はなんて傲慢でおぞましくて、愚かな生き物なんだということも再確認した。自分も含めて。  途中、工場で働く人々の食事シーンが間あいだに挿入されるのだけれど、これも結構印象的だった。食べられるために生まれてくる動物、それを食べる動物、現代の食物連鎖の様子を映像を通して突きつけられている気がした。それにしても、人間は食べ物を無駄にしすぎだと思う。 ニコラウス・ゲイハルター監督の他作品。他作品もドキュメンタリーなので是非見てみたい。 ・『プリピャチ』1999年 ・ 『 7915km 』2008年 ・『眠れ

胸騒ぎの恋人

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胸騒ぎの恋人 (LES AMOURS IMAGINARES) 監督・主演:グザヴィエ・ドラン 2010年 カナダ あらすじ フランシス(グザヴィエ・ドラン)とマリー(モニア・ショクリ)は昔から仲が良い親友。二人はある日友人のパーティーでニコラ(ニールス・シュナイダー)という金髪くるくるカーリーヘアのかわいくて、イノセントでみんなから好かれる美青年に出会う。そこで二人が共にニコラに一目惚れしてしまい、三人で友達として付き合うようになるが、お互いもどかしい気持ちのまま時は流れていく……。  一番好きなシーンは、二人ともニコラに振られた後に、また再会したパーティーで、ニコラが「会えて嬉しいよ」って言うんやけど、その時のフランシスとマリーの反応。フランシスはカーーーギエーー!!!!みたいな(ちょっと擬音で表現できない声)を出して拒絶。マリーは、何アンタ、みたいな表情。この時二人が同じ赤い色の服を着て、息もばっちり合ってて、お前らwwってなった。  フランシスはゲイなので、ストレートの人に告白して振られることも多いことはかわいそうだなとも思うが、それにも懲りずにまた新たな一目惚れをして次の恋に進んでいくところにフランシスの強さを感じたし、フランシス、マリー共にベッドの相手はいるようで、それはそれで二人は楽しんでいる様子だし、ニコルに振られたからといって悲壮感はあまり感じられなかった。フランシスとマリーのコンビが最強という感じで、二人はこれからもこんな感じで関係を続けていくのだなと思った。  色が場面場面で、赤、青、黄、緑と多様に変化し、服の色も赤、青、オレンジなどはっきりした色が多く印象的だった。スローモーションがたくさん取り入れられたり、マショマロが降ってきたり、グザヴィエ節だった。  それにしても、イノセントって罪だなと思ったし、むしろ、ああいうみんなにちやほやされる男よりも、ちゃんと相手に向き合い、支え合っていけるような相手のほうがいいよ、と思った。男でも女でもゲイでも。 印象的なバンバンの曲  https://www.youtube.com/watch?v=ebn1n5NFEJ0

第七の封印

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『第七の封印』(Det sjunde inseglet) 監督:イングマール・ベルイマン 1957年 スウェーデン "小羊が第七の封印を 解いてから 約半ときの間にわたり 天国は静かになった 私は見た 神の前に7人の天使が立ち 7本の角笛を与えられるのを" あらすじ 十字軍の遠征から命からがら帰ってきた騎士のアントニウスと死神との対決を描いた作品。数々の陰陽の対比から生と死を見つめ、神の存在を問いかける。  この作品は本当に好きな作品です。どこが好きかというと、何といってもアントニウスと死神のチェスの対決シーンです。このシーンは今まで見たすべての映画の中の好きなシーンの中の5本の指に入るんじゃないかと思います。この映画のストーリー云々以前にこのシーンだけでも一見の価値ありだと思います。それくらい美しいです。この映画はモノクロの美しさが本当に引き立っていて、この美しさはモノクロでないと表現できないと思う。カラーにはない、光の陰影の美しさが光ってとても眩しいです。あの荘厳さはモノクロだからこそ出せるのではと思います。  内容はというと、ベルイマンの作品で一貫して問いかけられる「神の存在」についてアントニウスの目を通して話が進んで行く。十字軍として神の名のもとに人の命を奪い、自分も命からがら逃げ帰ってきたアントニウス。しかし、故郷に帰ってきた彼が目にしたのは、蔓延する黒死病と、また神に救いを求めて苦しむ人々の姿であった。自分にも確実に死が近づいている。アントニウスは自分のことをつけてきているある存在に気づく。海岸の砂浜に現れたのは、黒いマントに顔が能面のように白い死神であった。死神が命を奪いにきたのである。死神とチェスの対決をして勝てば助けてもらえる。しかし、負ければ死である。アントニウスは死神に勝つ方法を探りながら、旅を続ける。道中アントニウスはさまざまな人と遭遇する。  死神(死)はいつもこんなにも近いところにある。死はすぐ手を伸ばせば触れることだってできるのに、どうしてこんなにも生きることは苦しいのか。こんなに苦しんでいる姿を神は見ているのか。神はどこにいるのか。私はこの映画の死神とアントニウスのやりとりからこのような問いかけを受け取った。死神は私たちのすぐ

ある結婚の風景

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『ある結婚の風景』(Scenes from a Marriage) 監督:イングマール・ベルイマン 1974年 スウェーデン   弁護士である妻マリアンヌと、大学教授の夫ヨハン。結婚10年目の満ち足りた生活を送っていた彼らに、あるとき模範的な結婚生活についての取材が行われる。数日後、活字になった記事を読んだ2人は、そのあまりのつまらなさに愕然となる。やがて夫婦の間に、次第に亀裂が生じていく。本作は、もともとは5時間に及ぶTVシリーズだったが、好評につき再編集され劇場公開された。  夫婦生活のドキュメンタリーみたいな作品。何の問題もないような夫婦が実は今までお互いがお互いに言えないもやもやを抱えていた。結婚したらこういう問題には直面するものなのかそれはどうかはわかりませんが誰かと一緒に共同生活を続けていくのはものすごく大変なことというのがこの映画を通して伝わってくる。  お互いが相手に対して持っていた不満をぶつけ合う。それを聞いてお互い愕然とする。今までこんなに解り合えてると思っていたのに…。ビデオテープ2本にわたって延々とこの夫婦の会話のやりとりです。会話だけなのに最初の取材を受ける二人の空気、思いをぶつけ合う二人の空気、離れて再び会った時の二人の空気、それぞれ全然違うものであり、それが実にリアルにじわじわ伝わってくる。  この夫婦は結婚して10年目にして初めてお互いの心の内を相手に打ち明けることができたのか。自分たちが思考停止していて、これでよいと思っていたことが、ふとしたきっかけから、もう一度考え直すに至る経緯、私は本当にこの人物を愛しているのかという疑問。愛がなくなった夫婦はどうすべきか。

ミスト

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ミスト (THE MIST) 監督:フランク・ダラボン 2007年 アメリカ 原作:スティーヴン・キング あらすじ ある日謎の霧が街を襲う。霧の中には何かがいる。霧の中の何かが人を襲う。  久々に胸糞悪い映画を見た気がする。気分が悪い。グリーンマイルの監督だそうで、救われないエンドが好きなサディステックな監督だと思った。絶望に次ぐ絶望。ラストに大絶望。最初に、大きい虫みたいな敵が出てきたときに、モンスターパニック系映画があまり好きでない私は、ああ、これは好きじゃないやつや、と思いました。  この映画見た人と話ししたくなった。どう思った?って。自分は、何も前情報なしに見て、見終わった後は本当に気分が悪くなった。しかし、レビューやネタバレなどのサイトなどを見たり聞いたりしていると、ああいう理不尽さを描いているところがいい、という肯定派の意見もあるようだった。確かに、映画だからこそ、こういう理不尽さを描いたりできるのかもしれないけど、こんな理不尽なことに遭遇したくないし、見たくもなかった。しかし、現実にはこういう理不尽なことは突然起こるということを描きたかったのだろうか。  見方によっては、死のうと思う前に5分でいいからもう一度思い直せ、そうしたら何か活路が見出せるかもしれない、という監督からのメッセージかもしれない。何事も焦ってする決断はよくない。  監督のフランク・ダラボンはステーヴン・キングの原作を映画化したことがいくつかあり、先ほど挙げた『グリーンマイル』(1999)の他に、『ショーシャンクの空に』、『312号室の女』(1983)がある。他の作品としては『マジェステック』(2001)と監督としては寡作である。  他脚本に携わっている作品は以下多くある。 エルム街の悪夢3 惨劇の館 A Nightmare On Elm Street 3: Dream Warriors (1987)  ブロブ/宇宙からの不明物体 The Blob (1988)  ザ・フライ2 二世誕生 The Fly II (1988)  フランケンシュタイン Frankenstein (1994)  プライベート・ライアン Saving Private Ryan (1998)  GODZILLA ゴジラ Godzilla (

盲獣

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盲獣  監督:増村保造 1969年 日本 原作:江戸川乱歩 あらすじ "目くらの世界に残されているたった一つの楽しみ、それは触覚です。 なかでも女の身体の手触りが一番です。 温かくて、柔らかくて…"  全然あらすじじゃなかった…。   改めて内容はというと、盲目の男道夫(船越英二)は母と二人暮らし。道夫は按摩師をしている。モデルをしているアキ(緑魔子)から型をとった彫刻を道夫が美術館でベタベタと触っているところから物語は始まる。アキの体型に惚れ込んでいるのである。道夫は実際にアキを拉致し、自分の彫刻のモデルになるように強要する。道夫がアトリエと称する場所は鼻や耳や目や口が壁一面に作りつけられた倉庫。真ん中には巨大な女の裸体のオブジェのようなものが置いてある。アキは最初は逃げ回り「あなたはキチガイだわ!」とか言ってたのだが……。  最終的に二人はどんどん二人の世界に入っていってしまいます。アキの目もだんだん見えなくなり、二人で触覚の世界に入っていきます。そして究極の快楽をどんどん追求していく。    五感の一つである視覚を失うと、その分触覚で感じる部分は大きくなり、視覚があるのでは感じられないような快楽を感じられるようになるのだろうか。これは予想だが、たぶん感じられるような気がする……。だから目隠しプレイがあるのだろう…。快楽を求めると人は我を忘れてしまうのだろうか。この映画でも、もう常識とか自制などが効かなくなった二人の様子が描かれている。  このアキを演ずる緑魔子がすごくかわいくて、本当に印象的でした。二人がどんどん快楽に溺れていく様子が、陰鬱に、凄惨に、二人だけの世界で進行していく。乱歩って変態やなあ、あとこれを映画化した増村監督もすごいなあ、でもこういう話に惹かれる気持ちはすごくわかるっていう共感。普段できない独特の感覚ができる映画。 “触覚の世界、昆虫の世界、ヒトデやクラゲの下等動物の世界、 その世界の果てにあるものは、やっぱり暗い暗い死だった。”

シティ・オブ・ゴッド

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シティ・オブ・ゴッド ( CIDADE DE DEUS) 監督:フェルナンド・メイレレス 2002年 ブラジル あらすじ シダージ・ジ・デウスという実際にリオデジャネイロにあるスラム街を舞台に、ギャングとそこで暮らす子どもたちの目線から身の回りで起こる抗争や事件がリアルに描かれた群像劇。時代は60年代後半から70年代、70年代後半とパートに区切って話が展開していく。  これはブラジル映画にはまっていたときに見た映画です。この映画などのお陰でブラジル映画が大変好きになった。今までに見たブラジル映画の中で、今のところ一番好きです。実際の実話を基にして、ブラジルのファベーラ(スラム街)の様子を、その場にいるかのような臨場感を感じながら見ることができる。130分と長めだが、時間を全く感じさせないほどテンポがよく、どんどん引き込まれる作品だった。麻薬や殺しが当たり前に行われている世界は、実際に行ってみないとわからないと思うが、こわいなあと思いつつも、どこか陽気なラテン気質の雰囲気が漂うこの映画は、見た後すっきりした明るい気持ちになるのが不思議である。  主人公の一人であるブスカペは、カメラが大好きで、スラムに育ちながらも、好きな写真を撮るということをやり続けた結果が、後のブスカペの仕事にも繋がり、さまざまなことに巻き込まれながらも、どこにも流されなかったブスカペのことを本当にすごいと思った。それぞれの人物のそれぞれの生き方、勇気、強さをもらえる映画だった。何回でも見たくなる作品。  フェルナンド・メイレレス監督の他作品。 ・ナイロビの蜂(2005) ・ブラインドネス(2008) ・360(2008) ※この『シティ・オブ・ゴッド』の作品以外にも邦題で『シティ・オブ~』ていう映画はいくつかあってそういうのをいくつか見たが、本作が一番好きだった。たぶん、邦題はこのシティ・オブ・ゴッドファンを引き寄せるための罠である。実際に全く関係のない話もある。ブラジル、スラム街、ストリートチルドレンの話だから同じような名前にしてるんだと思う。  

アデル、ブルーは熱い色

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アデル、ブルーは熱い色 ( La vie d'Adèle– Chapitres 1 et 2 / Blue Is the Warmest Colour ) 監督:アブデラティフ・ケシシュ 2013年 フランス あらすじ 高校生のアデルは男女ともに好かれるかわいい女の子。その表情はどこか無防備で人を惹きつける。ある日、道ですれ違った青い髪で白い肌がとても美しいエマという女性に心を奪われる。夢にまで出てくる彼女とバーで再開し、交際が始まるが……。顔の接写が多く、高校生のアデルが働いて自立していくまでをじっくり描いた話。青い色がとても綺麗に効果的に使われている。 結論:アデルがビッチ。  過激なセックスシーンが話題となった映画だが、実際見てみると、過激だとは思わなかった。うまいこと撮ってるなあ、とか女優二人の女優魂がすごいなあ、と思った。何百回とこのシーンを撮り直したそうで、そりゃ、これは監督とともに二人もパルムドール獲るわ、と納得の演技。納得のfake vagina。何回かある濡れ場では自分は最初の自慰シーンのほうが他よりもエロいと思った。  アデル役のアデル・エグザルコプロスとエマ役のレア・セドゥがこの映画のインタビューですごく仲が良くて、何かすごいものを乗り越えた絆ができているのが見て取れてそれが、面白かったし、いいなあと思った。実際に、映画を終えて二人はたくさんのことを乗り越えてきたのだろう。*1  この映画は恋愛映画と言えるのであろうか。確かに、アデルはエマに惹かれ、幸せな交際期間もあった。しかし、アデルには、どうもエマの気持ちを汲み取れていないというか、自分が今付き合っているのはレズビアンという生き方をしている人なんだという意識がほとんどなかったのではないかと思う。  エマはレズビアンだが、アデルはレズビアンになったのではなく、心の寂しさを埋めてくれる誰かが欲しかっただけではないのかと思った。それも肉体関係で。誰でもいいというわけではないが、エマには性別を超えた魅力があり、それで好きになったんだと思う。しかし、エマとは生活水準も違い、友人関係でも自分とは合わない。そこで、アデルは職場の同僚と体の関係を持ってしまう。そして、それをエマに知られて二人は別れる。  この二人が別れるシーンが私は