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バーバー



バーバー(THE MAN WHO WASN'T THERE)
監督・脚本・製作:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン  2001年  アメリカ

自分の人生なのに、自分が主役になれない理髪店の男が電気椅子に送られるまでの話。原題は“そこにいなかった男”

無口な主人公のエド・クレイン(ビリー・ボブ・ソーントン)の独白が語り部となってこの物語は進んでいく。彼の語り口は、客観的に人生を遠くのほうから半ばあきらめ気味に見ながら話しているように感じるような話し方で、終始この映画は寂しさや、自分の人生を生きられないエドの哀しさが漂っている。

自分の人生を生きられないとはどういうことかというと、エドは理髪店で働いているが、そもそも理容師になりたくてなったわけでもなく、義理の兄が理髪店を経営していたため、その妹と結婚したことから結果的にそうなった。そして、人の髪の毛を毎日切り続けるという日々を繰り返していた。ある日、閉店時間を過ぎた直後に、カツラを被った男が現れ、新時代のビジネスとして(作品の時代は1949年)ドライ・クリーニングの技術の話を持ち出す。その男の話によると、技術や用意は全て整っているのに、資金を提供してくれる人が急にいなくなったから困っているとのこと。話を聞くうちに、エドはこの商売に乗っかってみたいという気持ちになる。なんの変化もない日常を少し変えてみたい、そんな軽い気持ちからそう思ったのだろう。

では、その資金はどうしたのかというと、自分の妻と、妻の勤務先のデパートの上司であるデイヴが不倫関係にあったので、そのことをバラすという脅迫状をデイヴに送りつけたのだった。そして、バラされたくなかったら、1万ドルをよこせと書いたのであった。こんなふとした出来心からエドの人生の歯車は狂い始める。

生きている限り伸び続ける髪の毛を毎日切ってはゴミ箱に捨てる。妻との関係は冷めきっている。自分が目をかけたい(応援したやりたい)子(スカーレット・ヨハンソン)の存在に癒されるも、実際は自分の思っているような子ではなかった。自分の犯した罪でさえ、罪と認めてもらえない。自分の声は誰にも届かない。自分が存在しているのかさえもわからないくらいに自分は霞んで見える。

無表情で常にタバコを吸い続けるエドからは言葉はほとんど発せられないのだが、その動き、座り方、話し方、独白の様子から、実際はエドがすごく能動的な人物だったことがわかる。だが、エドが思うようには全く進まない。しかし、最終的にエドはこの人生を後悔していないのだった。

私はこの映画を見て、エドは側から見たら、不幸な男なのだけれど、エド自身にしてみれば、自分の生きたい人生を生きたので、エドは幸せだったんじゃないかなと思った。実際に起こったこと自体は一般的には不幸なことばっかりなんやけど、でも、何もせず、一生髪の毛を切り続ける人生とどちらがいいかと考えたときに、エドは一歩自分の足で踏み出す人生を選んだのだ。だから、そんなエドを私はかっこいいと思った。それが悲劇の始まりっていうのが、いかにも皮肉でそこがコメディみたいになってるんやけど、私はこの映画が好きになりました。
エドが控えめなんだけど、すごく存在感があって、矛盾しているようやけど、無口であるからこそ多くを語っていて、隣で喋りまくる義理の弟よりもよっぽど印象に残るのは、やはりエドという人物の魅力であろう。

私はこの映画はモノクロ版で見たのだが(カラー版もあるらしい)モノクロのほうがいい気がする。エドはモノクロのほうが絶対かっこいいし、諦観したような、流れに身を任せて、実際に自分が流されている渦中でもその状態に動じず、その様子を冷めた目で見ている。そんなこの映画が持つ空気感は、モノクロのほうが引き立つと思う。

悲劇であり、喜劇であり、ブラックで世の中へのシニカルな目線を持った作品でした。淡々としているようで、奥底では熱い静かな炎を纏った本作は私を最後まで惹きつける作品でした。

ほんならまた明日

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