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ジョーカー


Joker
監督:トッド・フィリップス 2019年 アメリカ

バットマンシリーズはあんまり好きではないのですが、(好きでなはい理由はこちらの『ダークナイト』の記事に書いております。)今回の『ジョーカー』は、宣伝を見て少し気になっていたのと、ジョーカーになった、1人の“人間”の話と聞いていたので、見に行ってきました。

※ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください














内容は、ジョーカーがジョーカーになっていくまでの過程の話。



【印象に残った点】

1. 今さらながら、ジョーカー= Joker(ジョークを言う人)ということに気づいた。

映画を見る前は、ジョーカーを名前としてしか、捉えていなかったので、アーサーがテレビ出演前に自分のことを本名ではなく、「Joker」という名前で紹介して欲しいと言ったところで、改めてその名前の持つ意味を認識した。
当たり前なんやけど、「Joker」=「ジョークを言う人」なんやなあとしみじみ...

2. アーサーと周囲の人とのズレ

アーサーが笑うと、周囲の人が「何で笑ってるの?」と言うシーンが何回かありましたが、私はこのシーンが結構印象に残っている。
以下2点考えた。

1) 周囲の人はアーサーの笑う理由がわからないから困惑するのではないか

このアーサーが笑える場面でないのに、笑ってしまう状態について、映画内で特には言及はされていないが、過去のトラウマから来る症状なのか、防衛本能としてわざとやっているのか、トゥレット症候群なのかはわからへんけど、このアーサーが笑う現象によって、周りの人は困惑します。

2) 逆にアーサーはみんなが笑う理由がわからないのではないか

自分が笑われる理由もわからないし、人がコメディアンを見て笑うポイントがわからない。
コメディアンがショーをしていて、周りの人は笑っているのに、笑っていないところでアーサーだけ笑っている。わざとやっているのか、笑ってしまう症状なのか、本当に笑っているのかはわからないが、アーサーがノートに、人が笑うポイントを書き記している内容からして、アーサーは、人が何を面白いと思うのかがわからなかったのではないか。

逆にアーサーが面白いと思って、ギャグにしていることが、周りから見ると「笑えない事実」になっていて、その対比が際立っていた。

自分の考えていることと、周りの人の考えていることが噛み合わない、自分が良いと思っていることが伝わらない。自分の話が聞いてもらえない。
このような経験が、アーサーを孤独に追いやり精神的にも(経済的にも)つらくなっていったのではないか。

私自身、昔働いていた閉鎖的な小さなコミュニティで、自分の周りの人と全く話や感覚が合わず、自分はおかしいんじゃないか?と思い詰めたことがある。
その悩んでいることを全く関係のない第三者の友人に聞いてもらったところ、客観的に見て、あなたはおかしくないと言ってもらい、そのコミュニティから離れることで生きやすくなった。

自分がどこに属して生きているかによって、その場でのルールや社会があり、そこで違う考え方や感覚を持っていると、矯正されたり、批判されたりする。

本作では、社会という大きな枠組みの中で、“正しい・こうするべきと決まっている物事”に対して、そこからズレてしまった、感覚の違うアーサー視点での社会(特に資本主義社会での有力者)への問いかけもあるのかもしれない。

3. ジョーカー(アーサー)から狂気を全く感じなかった

本作を見終わった後、他の様々な人のレビューを読んだ。いくつかの方々が「ジョーカー(アーサー)の狂気」というような表現をされているのを見かけましたが、私は全くアーサーから狂気を感じなかった。
これは、“狂気”というものの感じ方が人それぞれ違うと思うのですが、私はアーサーという人物は自分と身近な存在で、とても他人事とは思えんかった。

“ジョーカーに共感してしまう自分に恐怖を感じる”といったような意見も見かけたが、私は、自分がアーサーの気持ちに共感するからといって、恐怖を感じることは全くない。
人を殺すことは、法律で禁止されていて、だから、私は人は殺さないし、殺したくもないけど、過去に人を殺したいと思ったことは、何度もある。

アーサーがジョーカーとなっていくきっかけの一つに、銃を手にしたということが挙げられる。
もし、アーサーが銃を手にしていなかったら、ここまでの事件になってたやろか?
それだけに、銃というものの力の強さ恐ろしさを感じます。簡単に人を殺せるので、勢いで殺してしまう、なんてことが結構簡単に起こってしまうんやないでしょうか。

私が仮に人を殺したいと思っても殺さないのは、法律に反するということもありますが、まず、銃なしで殺すのが大変やろなと思うからです。現実的に考えて、身近な物で殺すとしたら、包丁、縄、毒、どれも大層で、まず殺したい相手に自分で直接触れなあかんのが嫌。
銃なしじゃこんなにも不便なんかと想像だけで、面倒臭いと思ってしまう。

そこが私がジョーカーにならない理由だと思います。

4. バットマンちょびっとしか出てこなくてよかった

私は上述したとおりバットマンがあまり好きではないのですが、(私が『ダークナイト』をあまり好きじゃない理由記事参照)本作はバットマンの敵であるジョーカーの話なので、バットマンが出てくることは避けられない(?)とは思ってたんですが、本作は、バットマンはバットマンになる前の子供時代のブルース・ウェインがちょこっと出てくるだけだったので、そこも好きなポイントです。
バットマンが出てこないことで、超人的な武器や車が出てこなかったので、話が現実的でした。
ただ、方や社会福祉制度も打ち切り、仕事クビ、凄惨な幼少期などなど生きていくのにつらいことが盛りだくさんなアーサーに対し、超セレブの執事付きのお坊ちゃん(バットマン)との対比つらかった。
というか、この後、ブルースが成長して、バットマンになって私的に悪を制裁してるのに、正義の味方っぽく描かれるのも疑問に思えてくるな。

ジョーカーの“善悪は主観でしかない”という発言も自分がどこから見るかによって、立場や解釈の仕方も変わってくるということやと思う。
自分にとっては悲劇でも、他人から見たら喜劇であるという表現が出てきたけど、私は自分の人生を悲劇と捉えるか喜劇と捉えるかは自由やけど、他人の人生を喜劇としては見たくないと思った。人のことをjudgeしたくないし、するのもおこがましいと思うけど、すぐ人をjudgeしてしまうので、反省している。

5. 好きなシーン

本作はジョーカーになったアーサーがダンスするシーンがちょこちょこ出てくるんやけど、そのどれもすごく好きだった。
上の絵に描いた、階段で踊ってるシーンもすごく好きなシーンの一つ。
最初に殺した後に、トイレで踊ってるシーンも美しいシーンだと思ったし、家の風呂でヨレヨレのパンツ一丁でいろいろ吹っ切れて踊ってたのもよかった。
あと、ラストの車のボンネットの上で起き上がって、血で唇を描くシーンはなんか感極まって泣いた。

事件の後、病院で逃げてるシーン、ほのぼのした。
とにかく、ホアキンの演技すごかった。

久々に映画館に行ってでも見たいと思い立って、見に行ってよかった。
私は60年年代や70年代の映画も大好きなので、その時代の雰囲気も漂う映画で、音楽も良くてよかったです。

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